良くは知らないけれどベランダをそう呼ぶ。
ハワイ 特にローカルではない短期滞在者同士の出来事において、このらないは大切な役割を持つ。
今でこそ、その役割の大半はプールから上がった子供たちの水着を干す場所という役割が大半なのだけれど、昔 もう随分昔  ここはドラマの舞台だった。
そのドラマ、ジャンルで言えば毎回1話完結の三流の軽い恋愛ドラマ
いつも似たようなセットで、相手役の女性だけが変る。

明るい太陽が姿を消し
マジックナワーの幻想も消えた夜
海は真っ暗のスクリーンになり、時折行きかうフライトの明かりだけが世空をよぎる。
月は姿を見せず、海風はかなりの湿度をもって緩やかに吹きぬける。
エアコンの効いた室内よりも遥かに居心地の悪いラナイで、いくつもの物語が始まった。
いつも同じ、けれど少しだけ物語の結末は違って。
ABCで買ったクアーズライトの感が直ぐに汗をかきはじめる。
備え付けの椅子、チープなガラスとスチールで出来た丸いテーブルには天狗のジャーキー
ここで出会った彼女との意味の無い会話
それでも彼女たちは皆同じように良く笑った。
日焼けした顔、好奇心の瞳 華奢なサンダルと素足

キスまでのシーンはこのセットで話が進む。

そこから先の物語は いつも少しづつ違ったけれど

ラナイから部屋に戻る、少し汗ばんだ身体に部屋の乾いた冷たい空気が心地よく

やけに明るい部屋が気まずくて、明かりを落とす。

冷たく乾いたシーツに熱を持った身体をのせ

彼女の達の体温 吐息 目の前にある顔

そのどれもが、一瞬ので陳腐化する、その瞬間だけに価値のあるものだったけれど

それが、とても とても 楽しかった。



今日こんなことを書いたのは

多分、これを読む人にも こんな時代があったのだろうと ぼんやり感じたから。

そして、それは とても些細な意味の無い けれど 心地よい出来事じゃなかった?

そんな事を聞いてみたくなった。



$molt posso 追従できない放物線の裏側へ