勿論 原子力の平和利用と 核兵器は 全く違うと言う反論が書く前に聞こえる。

理屈を述べられても、環境にも身体にも有害が物質が現実に生活圏に飛散する事は事実である。

そしてその汚染は一過性のものではなく、ともすれば現時点では存在していない生命にさえ影響する。

日本は 広島 長崎 ビキニ環礁 と 核の被害にあった事がある国である。

核兵器により、今も苦しめられている人々が居る国であり、苦しんで多くの国民の命が核により失われた国である。 核に対してはアレルギーが強い国民性などと言われるが、とんでもない

核に対してアレルギーが強いのは過去に学んだ結果なんだ。


あれだけ核の被害をうけていながら 原子力開発を推し進めた方が不思議でもある

今までの被害は、いわば外的な被害である

今回は少し違う 日本人が選択した上での被害

国民は原子力を合法的に受け入れた結果の被害である。


今回の責任は 津波 でも 地震でもなく 人にある

むしろ、津波や地震に その重すぎる責任を転嫁してしまう事が恐ろしい。


人類は自らの力で管理しきれないものを暴走させた

管理できると言い切ったにもかかわらず


普通の状態なら十分管理は可能


普通の状況で無いと管理できないものは管理できるものではないのだ。


化石燃料の枯渇に対する対抗手段が核だった  そうかもしれない


そうでないかもしれない


「放射性物質の環境への流出を最小限にするために最大限の努力を・・・」


同じ事を言い続けても


先週と 今週では 最小限の解釈が違う


このまま行くと 想定しうる最悪の事態を回避するために などと言いはじめるのか


そして最後には 想定を超えた事態が起きたと 他人事にするのか?


想定しうる最悪の事態 ここで言う最悪は はるかに想定を超えた事態 よりはましだと言うことだろう


この国の最悪の事態は 想定を超えた事態よりは 悪くないらしい




想定を超える という事が今 言い訳に使われている