そんな事を言い出すのは妻帯者の私としては不謹慎極まりないのだけれど・・・・

でも良く考えれば 日頃より不謹慎極まりないので事の成り行きというか 事の思いで一綴りする。

人間とは元来,不器用なものなれば、それほど多くの人間を人生の中で愛せるものではない。

例え恋多く 愛豊と自分で思っている方であっても、その大部分はそれこそ勘違いの類である場合が多い。

なぜならば、後で考えると笑える恋愛も少なくないのではないだろうか。

そう、真剣に悩み傷つき可哀想な自分が好きとか、好かれて愛される自分が何より愛おしいという感覚が人間は何よりも強く、他愛よりも自己愛により成り立っているのが私たちの自然の姿だと感じる。


そんな中で、他人に何を言われても、損得計算ではあまりにも割に合わないけれど、それでも何故か自分より少し大事な彼彼女 そんなものが人生の中で一人はいるもの それも人間の人間らしさかもしれない。

理屈なんてものは 脆くも崩れ去り そこには前世 いや それ以前からの堅いお約束ごとのように無性に愛おしい相手がいるのである。

かくいう、私にもその類が存在した。

それがどうこうでもなく、まして今を変えるなんて要素には全くと言っていいほど関係はない想い出の中の存在でも、それが存在するという皮肉と現実。

でも、それほど愛している事が出来たという事は大切なことだと思うのである。


先日さるアーティストの楽曲を聴いていた

ポップで明るい曲調の彼女の曲の数々で そのメロディーラインに乗る心地の良い彼女のボーカルに長年詩の意味を掘り下げるような作業に基ずいたきき方などした事もなかったが、あらためて聴くと おや あれ あ・・・・

となったのである。

その詩は限りなく切なく 限りなく儚く 何も相手には望まずに 期待さえもない中で 彼女の思いだけがひたすらに綴られる。

そして、その言葉の各所には物凄い綺麗で悲しい日本語独特の表現が生きている。

なぜ、彼女は作詞をして曲を書かなかったか・・・・

音楽的な素地がないから とか 単純な事ではなく

第3者でなければ、彼女の詩にポップな彼女らしいメロディーラインをメイキングできるはずがないから・・・

とても悲しい 明るい 歌を聴きながら そんな事を考えていた。


そして、その曲の流れは 絶えず 割り切りと 諦め 相手の立場と生活には一切無関係な所での愛

時には愛するからこその悪戯心 あきらめ ふっ切り へと続く思いが綴られていた。

そして最後にもふっ切り でも多分繰り返し何だろうね。


恋も愛も 突き詰めれば そんなに差が無く そして自分を中心にした残酷な物語だけ。


誰だろう 今日ここに書いたアーティスト


今までONE OF 人気アーティストだった僕にとっての彼女の曲が その彼女自身の魅力と同じに急に特別に好きになった。