時の魔術師は普段法律の勉強をしています。暇なときには法律以外のことも勉強してます。時の勉強はしてないです。まあ生きてること自体が時の学習みたいなものなので、していると言えばしてるのかもしれませんけど。勉強ってのは何かを知ることから始まり、最終的には学問として新しいもの、考え方を作り出すことになるのかなと思いますが、苦手な人は苦手なんじゃないでしょうか。中学校高校の勉強とか何のためにするのかわかりませんし。数学って将来何に使うの、歴史なんて知ってどうするの、っていうのは誰でも考えるお話。じゃあこれにどんな答えが適切かって考えたら、きっといろんな答えがあるんでしょうね。因数分解は出来事を分析する力を鍛えるんだ、なんて説明があったり、同じことを繰り返さないようにするために過去を学ぶんだ、ってのがあったり。ただまあ、間違ってはいないんでしょうけど、個人的には何のためにするのかって質問はちょっと視点を変えて見れないかなとも思ったりします。視点を変えるというか、視点を立ち返るというか。例えばの話、サッカーをするときに、サッカーは何のためにするの?って質問をする人がいるかと言われれば、いるのかもしれないですが、それはなんというか趣がない人と捉えられる気がします。趣がない、楽しむ感覚がない、ってことですかね。サッカーをやるのは、サッカーをやりたいからであって、ゲームが楽しいからであって、それ以上にその先の目的は考えない人が多いからです。大雑把に言えば勉強も多分同じです。数学をなぜ勉強するかは、本来的には数学を知ることを楽しむためです。歴史をなぜ勉強するかは歴史を知ることを楽しむためなんでしょう。そんな事、楽しめないという価値観はサッカーを楽しめないというのと似たような話です。一応、付け足しておくと、これはサッカーを楽しめない人が間違っているという話ではないです。サッカーをすることに目的を要求することが間違っていると言い切れる理由はないですから。言いたいこと、書きたいこととしては、生きる上で何でもかんでも楽しむような視点があってもいいじゃないか、って話です。そうやって考えれば、勉強をする理由は要らないんじゃないかなって話です。じゃあ、楽しむためにはどうすればいいのか、って話にもなりそうですが、これは興味を持つことです。自分が知らないことを知り、そして知らない言語、知らない単語、知らない出来事、その全てに興味と関心を向けること。これが一番簡単な楽しむ秘訣です。この興味関心を持つことが楽しむ秘訣というのは考えてみれば、当然の話であって、例えば趣味を持ったり、例えば他人を好きになったり、っていうのも全部興味関心がすべてです。自分には関わりがないと決めてかかればそこで終わり、関わりを求めればそれはより深い関係につながる。生きていく上で生活を、楽しみを形成していくっていうのは、そういう積極的な関わりを欲していくことなのかなとも思ったり。そう考えると、もしかして中学校高校の勉強っていうのは生きる楽しみ方を教えてくれてるのかもしれないとか思ったり思わなかったり。

 

追伸

色々書いたけれど、義務教育なんてのは、所詮、高水準の文化を欲している国からの押し付けでしょうな。