時の魔術師と言います。中学生の頃に考えた名前ですので、中二病、もとい厨二病全開です。今はあのころから既に数年、十数年、あるいは数十年経っているので名前を変えてもいい気もしますが、まあ悪い名前でもないのでこのままでいいかなと思います。それに中学生のころから何か変わったかと訊かれれば、そんなに変わったこともないんじゃないかなとも思いますし。あれですね、中学生から見たら、高校生は大人に見えるけれど、いざ中学校を卒業して高等学校に上がる時期になると、何も変わらないじゃん、って感じるのと同じです。何も変わりません。高校卒業して、大学行って、大学院行って、就職して、転職して、退職して、色んな出来事は重なりますが、いつだって変わらないです。そんなもんです。でもそんな自分も他人から見たらきっと変わっていることもあって、親や教師は育ったと評価するんでしょうし、賢くなった、あるいは愚かになった、とみる人もいるのかもしれません。そう思うと、もしかして自分が気づいていないだけで、変わっている面もどこかにあるのかもしれないです。ただまあ、自分が感じる自分と他人が感じる自分ではそれが同じと言えるかどうか定かでないわけで、他人は自分の一部しか見ていないのだから、変わったわけではなく、今まで見えていなかった一面を知ってしまっただけ、ということも考えられます。時間が経てば経つほど、見られる面は増えるのが当然なわけで、見えていなかった一面がどんどん明らかになるのもの必然なのでしょう。変わったなんて言われても、貴方が知らなかっただけだよそれは、って話なのかも。さらに考えれば、自分が今の自分のすべてを知っているかと訊かれたら、それも定かでないわけで、今自分が何ができるのか、何を知っていて知らないのか、どんな考え方をしているのか、知らない面は多様にあると思います。だから、時の経過が経つにつれて、考えて経験を重ねるうちに自分の可能性を知っていく。そうやって歳を重ねていく、それが成長ってことなんじゃないですかね。努力とか挑戦とかってのはそういう自分発掘をいうのかなと思ったり思わなかったりします。まあ、私が私であり、厨二病であるようなことは変わらないことで、時の魔術師って名前は使い続けようかなというお話です。

 

追伸

「時の魔術師っぽい話できたんじゃない?」