ロゴセラピー(意味中心療法 ; 実存分析、英語: Logotherapy

人が自らの「生の意味」を見出すことを援助することで心の病を癒す心理療法のこと。

創始者は、神経科医で心理学者のヴィクトール・フランクル

 

ロゴセラピーは手法として、実存主義的アプローチをとり、下記の3点を基本仮説とする。

  1. 意志の自由 - 人間は様々な条件、状況の中で自らの意志で態度を決める自由を持っている。(決定論の否定)
  2. 意味への意志 - 人間は生きる意味を強く求める。
  3. 人生の意味 - それぞれの人間の人生には独自の意味が存在している。

フランクルは、人の主要な関心事は快楽を探すことでも苦痛を軽減することでもなく、「人生の意味を見出すこと」であるとする。

 

人生の意味を見出している人間は、苦しみにも耐えることができるのである。

 

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参考:「産業カウンセリング」第6版p123

 

「快楽への意志」(おいしいものを食べ、楽しいことをしたい)や

「力への意志」(立身出世して、社会的権力を身につけたい)よりも

「意味への意志」生きる意味を強く求め、その目標実現の過程でどのような代償も払う覚悟)があるか、クライエントに問うてみる必要がある

 

このような質問を行い、生きる意味を見出せたなら、どのような困難や苦しみにも耐えることができるクライエントになるのである。

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態度価値(Einstellungswerte)はヴィクトール・フランクルの用語。

 

フランクルによれば人間が実現できる価値は

創造価値体験価値態度価値の3つに分類される。

 

創造価値とは、人間が行動したり何かを作ったりすることで実現される価値である。仕事をしたり、芸術作品を創作したりすることがこれに当たる。

 

体験価値とは、人間が何かを体験することで実現される価値である。芸術を鑑賞したり、自然の美しさを体験したり、あるいは人を愛したりすることでこの価値は実現される。

 

態度価値とは、人間が運命を受け止める態度によって実現される価値である。

病や貧困やその他様々な苦痛の前で活動の自由(創造価値)を奪われ、楽しみ(体験価値)が奪われたとしても、その運命を受け止める態度を決める自由が人間に残されている。

フランクルはウシュビッツという極限の状況の中にあっても、人間らしい尊厳のある態度を取り続けた人がいたことを体験した。

フランクルは人間が最後まで実現しうる価値として態度価値を重視するのである。

 

 

「超意味」

 

動物のその固有の環境世界を超えた次元に、そうした環境世界から解放された人間のもつ世界がある。

フランクルはそうした動物の環境世界を超えたところに人間の世界があるように、人間の世界を超えたところにも一つの全体としての世界、すなわち超世界があると推定する。

超世界はまたその一つの全体的な意味を持っており、これを超意味という。

超意味は人が直接問うことのできないものであるが、人の世界に意味を与える根源であるとされている。

 

手法

逆説志向

ロゴセラピーでは、まず患者が何かを恐れて不安を感じるという予期不安という現象に注目し、その予期不安が実際にその予期している事態を実現させていると仮定する。

こうして実現された事態はさらに予期不安を強化させ、循環メカニズムが神経症を形成する。

 

逆説志向とは患者が恐れているその事態を望み、自らをそれを実行しようと決断することである。

こうすることによって予期不安は解消され、症状の連鎖が断たれるとされている。

 

フランクルは逆説志向を実践するにあたってはユーモアが重要だとしている。

ユーモアは本質的に人間的な現象であり、その都度の自己やその状況から距離をとる性質がある。

これを自己距離化といい、不安への態度の変更に役立つとされている。

また、フランクルはこの逆説志向は短期間で行えることや、効果は永続性を持っているということも主張している。

反省除去

フランクルは人の普段の創造性や決断は根源的には無意識で行われるととらえている。

このことから、本来無意識に任せるべきである活動を過剰に志向したり反省したりすることが神経症の原因となる。

反省除去とはこのような過剰な志向や反省を取り除き、当の活動に専念することである。

 

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フランクルの言葉

 

<生きる意味を問うのは間違い>

 

「人生におけるミッション(使命)というものは、つくるものではなく発見するものである。」

 
「終局において、人は人生の意味は何であるかを問うべきではない。むしろ自分が人生に問われていると理解すべきである。一言で言えば、すべての人は人生に問われているのだ。自分の人生の責任を引き受けることによってしか、その問いかけに答えることはできない」

<幸せを目標にしない>
 

幸せは、目標ではないし、目標であってもならない。
そもそも目標であることもできません。
幸せとは、結果にすぎないのです。

 

「人間に残された最後の自由は、どんな状況にあっても、その中で自分の態度を決めることだ」
 
 
・・・それでも人生にイエスという・・・これは強制収容所の囚人達の間で歌われた歌詞の一節でした。フランクルは晩年までこの言葉を語り続けました。どんな状況でも人生には意味がある。『夜と霧』は今、私達の心に強く訴えかけて来ます
 
「人間の生きがいは、その人が毎日行う行動の積み重ねである。」
 
「あたかも、二度目の人生を送っていて、一度目は、ちょうどいま君がしようとしているようにすべて間違ったことをしたかのように、生きよ」
 
「どんな瞬間にも、人間は決断しなければならない。
より良くなるために、あるいは、より悪くなるために。
それが、生きてきた証となる。」

 

<苦しむべき苦しみに向き合うこと>

 

まっとうに苦しむことは、それだけでもう精神的に何事かを成し遂げることだ。

 

涙を恥じることはありません。
その涙は、苦しむ勇気を持っていることの証なのですから。

 

参照:マンガで分かる心療内科・精神科in渋谷

    第74回「フランクル~人が生きる3つの意味」

 

参照:意味への意志(will-to-meaning)

 

動画 ヴィクトール・フランクルの講演 英語(約4分)
  「Search for meaning(生きる意味への問い)」

 

参照:日本ロゴセラピーゼミナール

 

参照サイト:就労移行支援事業所「スイッチ・新所沢」https://switch01.amebaownd.com/