西国三十三観音札所17番 六波羅蜜寺へ向かう途中、きれいな虹がかかりました。

今日は初めての自転車遍路でしたが、あちこちと京都の有名寺院の横を通りがかり寄り道ばかりしていて予定通り進まず、清水寺の周辺の人波にまた翻弄されて、ついつい清水寺あたりで迷ってしまい、六波羅蜜寺に着いたのはご朱印時間ギリギリでした。

本堂の前でお蝋燭と線香を手向け、靴を脱いで本堂に入り般若心経のお勤めをして、御朱印を
頂くことができました。
なぜ迷ってしまったのだろうと反省するところによると、最初の「今熊野観音寺」の規模感のイメージを強く持ちすぎたため、この小さい寺院を見過ごしてしまった、というのが大きな過ちだったと思います。
西国33観音がすべて大きい寺院ではないと、この経験で分かりました。

六波羅蜜寺は、現 真言宗智山派の寺院。(以下HPより)
天暦5年(951)醍醐天皇第二皇子光勝空也上人により開創。
当時京都に流行した悪疫退散のため、上人自ら十一面観音像を刻み、御仏を車に安置して市中を曵き回り、青竹を八葉の蓮片の如く割り茶を立て、中へ小梅干と結昆布を入れ仏前に献じた茶を病者に授け、歓喜踊躍しつつ念仏を唱えてついに病魔を鎮められ。
その後応和3年8月(963)諸方の名僧600名を請じ、金字大般若経を浄写、転読し、夜には五大文字を灯じ大萬灯会を行って諸堂の落慶供養を盛大に営んだのが当寺の起こり。
上人没後、高弟の中信上人によりその規模増大し、荘厳華麗な天台別院として栄えた。
平安後期、平忠盛が当寺内の塔頭に軍勢を止めてより、清盛・重盛に至り、広大な境域内には権勢を誇る平家一門の邸館が栄え、その数5200余りに及んだ。
寿永2年(1183)平家没落の時に兵火を受け、諸堂は類焼し、独り本堂のみ焼失を免れた。
源平両氏の興亡、北条・足利と続く時代の兵火の中心ともなった当寺はその変遷も甚だしいが、源頼朝、足利義詮による再興修復をはじめ火災に遭うたびに修復され、豊臣秀吉もまた大仏建立の際、本堂を補修し現在の向拝を附設、寺領70石を安堵した。徳川代々将軍も朱印を加えられた。
現本堂は貞治2年(1363)の修営であり、明治以降荒廃していたが、昭和44年(1969)開創1,000年を記念して解体修理が行われ、丹の色も鮮やかに絢爛と当時の姿をしのばせている。

六波羅蜜とは、六波羅蜜とは、この世に生かされたまま、仏様の境涯に到るための六つの修行をいいます。波羅蜜とは彼岸(悟りの世界)に到ることです。
*布施 見返りを求めない応分の施しをさせていただく事をいいます。貪欲の気持ちを抑えて、完全な恵みを施すことです。布施行は物質だけではありません。
*持戒 道徳・法律等は人が作り現在はますます複雑になっています。私たちは高度な常識を持ち、瞬時瞬時に自らを戒める事が肝要です。
*忍辱 如何なる辱めを受けても、堪え忍ぶことが出来れば苦痛の多い現代社会において、自らが他の存在に生かされていることがわかり、全ての人の心を我が心とする仏様の慈悲に通じることとなります。
*精進 不断の努力をいいます。我々人の生命は限りがあります。ひとときも無駄にすることなく日々誠心誠意尽くすことです。
*禅定 冷静に第三者の立場で自分自身を見つめることをいいます。
*智慧 我々は本来仏様の智慧を頂戴してこの世に生をうけております。しかし、貪りや怒り愚痴によってその大切な智慧を曇らせてしまいがちです。 布施・持戒・忍辱・精進・禅定の修行を実践しどちらにもかたよらない中道を歩み、此の岸から彼に岸へ・・・。

宝物館(入場料600円)では平安から鎌倉時代の重要文化財がたくさん収められています。
そのなかでもとりわけ有名なのが「空也上人像」で、運慶の四男の作。
空也上人の口から6体の阿弥陀仏が出ている像が印象的です。
■西国三十三観音札所 第17番六波羅蜜寺
住所 京都府京都市東山区五条大和大路上ル東入2丁目轆轤町81-1