56番泰山寺より54番延命寺を経て、55番南光坊へ向かいます。

延命寺の墓地を上がるように進み、道なりに歩くと、大きな市民墓地に出ます。

この墓地の中をひたすら歩きます。

土地によって墓石が違いますね。

愛媛の墓石は灰色の石でと統一され、お花ではなく葉っぱ(その土地で何とかというと聞いたが忘れた)みたいなのをあげるようです。

ちょうどお彼岸の入りにあたっていたため、お参りの人がおられましたが、墓地の中をひたすら歩くなんて、少し怖い気もします。

ここから南光寺は、左側に見えるタワー(今治国際ホテル)のあたりです。

今治の街なかに出ました。

この場所に来たのは実は2回目。

6年前、今治国際ホテルに宿泊し、今治駅に徒歩で向かう途中で、この南光坊が四国お遍路の寺院だと知りました。

寺院というと山の上にあるというイメージが私には強くあったので、こんな今治市の街なかのお寺がお遍路の場所とは驚きで、とても印象に残りました。

この55番南光坊さんは、私がお遍路をすることになったきっかけのお寺なのです。

隣に大きな神社があります。

明治初年の廃仏毀釈で、本地仏として社殿に奉安していた大通智勝如来と脇侍の弥勒菩薩像、観音菩薩像を南光坊薬師堂に遷座し、別宮大山祇神社と明確に分離したそうです。

四国霊場のなかで「坊」とつく寺院は、南光坊だけです。

重厚な山門です。

比較的大きな寺院にあたると思います。

南光坊の大宝3年、伊予水軍の祖といわれた国主・越智玉澄公が、文武天皇(在位697?707)の勅をうけて大山積明神を大三島に勧請し、大山祇神社を建てた際に、法楽所として24坊の別当寺を建立したことが創始といわれています。

これらの別当寺は翌々年、海を渡っての参拝が不便なことから現在の今治市に移されているが、和銅元年(708)に行基菩薩が24坊のうち8坊を「日本総鎮守三島の御前」と称して奉祭し、弘法大師がこの別当寺で法楽をあげて修法され、霊場に定められたそうです。

 本堂

 

大師堂

蝋燭を立てるところの水がとても綺麗に掃除されていました。

88箇所巡った中でも、こんなに綺麗にされているお寺は、この南光坊さん以外はなかったくらいです。

金比羅堂は、讃岐の金比羅宮から勧請している金比羅大権現を祀っています。

薬師堂

 

納経帳を頂くときに、お寺の方から「どこから来たの?」と聞かれました。

納経帳の裏に、名前と住所を記入してなかったため「名前を書かないのは自分のものではないのと同じ。心がない納経帳になる」と教えて頂きました。

私にとって四国遍路の原点となったお寺です。

こうして再び今治に来れたと思うと感慨深いものがあります。

蝋燭立ての下のお水がとても綺麗だったのにも感激しました。