先月母を見送りました泣


4月17日、特養ホームで母が旅立ちました。


91歳でしたお願い


最期は看取りという形で、
とても穏やかで、静かな時間の中での別れでした。



4月に入ってから、母は少しずつスプーンフォーク食事が進まなくなり、
点滴で過ごす日が続いていました。



覚悟をしなければいけないと、頭ではわかっていても、


気持ちはなかなか追いつかなくて、


ただ時間だけが静かに流れていったように感じていますハート



母はもともとおとなしくて、言葉数も多くない人でした。


でも、その分、ひとつひとつの行動やまなざしに、


たくさんの優しさが込められている人でした花



ホームの方からも、
「とてもケアしやすい、穏やかなおばあちゃんでした」と言っていただき、


母らしいな、と胸がじんわり温かくなりました。



少し認知症もありましたが、


それでも母の穏やかさは変わることがなくて、


怒ったり、強い言葉を使ったりすることはほとんどありませんでした。



そんな母の姿に、


私は何度も救われてきた気がします。





料理がとても上手で飛び出すハート


何気ない日常の食卓を、あたたかい時間に変えてくれる人でした。



特別な料理じゃなくてもニコニコ


母が作るだけで、なぜかほっとして、


「帰ってきたな」と思える、そんな味でした。



そして、踊りが好きだった母。



静かな人なのに、踊っているときはどこか楽しそうで、


その姿を思い出すと、今でも胸がやさしく揺れます。



愛情を大きな言葉で表現する人ではなかったけれど、


そのぶん、日々の中にそっと滲ませるように、


たくさんの想いを注いでくれていたんだと思います。



今になって思うのは、


母はきっと、おじいちゃんに会いたかったんじゃないかな、ということです。



長い時間を一緒に過ごしてきた人。


先に旅立ったその人に、

やっとまた会える場所へ行けたとしたら、
それはきっと、寂しいだけじゃない、


どこかあたたかい再会だったんじゃないかと思います。



今ごろ二人で、
昔みたいに並んで、穏やかに笑っているのかもしれません。



そう思うと、少しだけ心が軽くなります。




残された私は、
やることも、気持ちも、まだまだ追いついていなくて、



ふとした瞬間に、ぽっかりと穴があいたような感覚に包まれます。



何気ない日常の中で、
「あ、これ母が好きだったな」とか、


「こんなとき、なんて言ってくれただろう」とか、


そんなことばかりが浮かんできます。



それでも、きっとどこかで見ていてくれている。


そう思うから、なんとか前を向こうとしています。



「ちゃんとやれてるかな」って、
心の中で何度も問いかけながら、
少しずつ、少しずつ。


焦らなくていいよねおねがい



母もきっと、そう言ってくれる気がします。



これからも、
母にもらった優しさを忘れずに、
自分のペースで歩いていけたらいいなと思います。


おねがいおねがいおねがい