《いと山秋子・著》


【妻の超然】


女がすべてわかっているということがわからない、
と文麿は言う。
女と言ってもただの女だ、知らない人間ではなく自分の妻だ。妻なんぞに何もかもわかられてたまるものか、という意味である。
しかしそれこそが女というものをわかってないということなのだ。隙さえあれば、見たことも話したこともないけれど小便臭いに違いないあの女の元へ出掛けて行く文麿はそのたびに判で押したように女からもらったパンツを穿いていく。そんなことに気づかない妻が、女というものが一体どこにいるだろうか。
理津子は一人憤然とするのである。
それは文麿が夢中になっている女に対してではなく、文麿の不甲斐なさに対してである。
このパンツ、洗ったものかどうしたものか。

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月曜の朝、洗濯カゴの中に何かの抜け殻のように入っている文麿のパンツを見て、理津子は思う。捨ててしまってもいいではないか。捨ててしまっても案外、気がつかないかもしれない。
どうしたんだろうな、ないんだよなあ。
文麿はそんなふうに言うだろう。そして理津子が黙って振り返ると、
いや、いいんだ。
とドングリでも呑み込んだような目をするに違いない。
そして一月もたたないうちに代わりの、ブランドもののパンツがどこからともなく現れるだろう。文麿はけちな男だからそんなものを自分で買うはずがない。文麿が自分で買ってくるパンツといえば必ずユニクロで、だからこそトミーヒルフィガーだの、ホリスターだのといったブランドもののパンツが加われば目立たないわけがない。そのことに文麿は気づかない。
まあ、別の人が穿いたわけじゃないのだから、と思って理津子はその派手なパンツをつまんで洗濯機に放り込む。理津子は既にパンツの中身を必要と思ってないが、妻として、文麿にパンツを穿かせないわけにもいかないのだ。