昨日は三ノ宮に着いてからホテルにチェックイン。ホテル側が粋な計らいをしてくれて、リピーターということで景色の悪いシングルの部屋を予約していたのにも関わらず、わざわざ観覧車の見える夜景のキレイな上階特別室のセミダブルをあてがってくれた。
こういうサービスはとてもうれしい。
チェックイン後はその日の遊覧船の最終便に乗り、大阪湾に沈む夕陽をさかなにグラスワインを飲みながら海風に吹かれた。
極上のひととき。
休暇はこうありたいものだ。
船を降りて絵葉書を買い、ホテルに戻り文通相手にメッセージを書いた。
それをコートのポケットに忍ばせ、夜7時過ぎに元町が会場入口のルミナリエにいざ出陣。
平日中日なのに会場まで30分かけ警察や機動隊、警備員やボランティアの誘導を受けながら順路を歩いた。
こういう機会だからこそ目につく普段なら来ないであろう、私が知らなかった街中の光景がまぶしく映った。
小綺麗なブティックや洋菓子点、メロウな雰囲気のカフェ、お洒落な洋食屋。
神戸がパリのように見える。まだパリは行ったことないから、イメージの中のパリね。
会場に着き、度肝を抜かれた。
感動が言葉を越える。
言語化が難しい。そんな体験は久しぶりだった。
同じイルミネーションでも、昔行ったことがある仙台光のページェントを優に越えた。
仙台も魅力的だが、イルミネーション単体での感動ではないのだ。
ルミナリエに訪れるみんなの気持ちが1つであることを感じさせた雰囲気がそこにはあったのだ。
イルミネーションのアーチをくぐると、誰しもが表情が変化する。
厳粛で穏やかだが押し殺したような空気。
鮮やかなライトの連続と、スピーカーから静かに流れる讃美歌。
みんな穏やかな表情で会場の奥へ奥へと誘われる。
会場奥に行くと鐘が一定のインターバルを挟みながら静かに、厳粛に打ち鳴らされている。
鎮魂、祈り。そして感謝。
そんな言葉が浮かぶ。
単なるイルミネーションとは違う。
宗教的なイニシエーションを感じさせる、不思議な空間がそこにあった。
鐘には列ができており、募金をすれば打つことができた。
私も列に並び、打たせて頂いた。
阪神淡路大震災で亡くなられた方々の想いを浮かべながら、鎮魂を祈った。
会場には鎮魂のモニュメントがあり、階段を降りて地下に降りると壁いっぱいに亡くなられた方々のお名前が刻まれていた。
ゆっくり、固唾を飲んで名前をたどった。
人の数だけ人生があり、思い出がある。
気が付いたら涙が流れていた。
上を見上げればアクリル天井の上が池になっている構造で、おそらく昼には池の水越しに太陽の光がモニュメント地下の壁に降り注ぐのだろう。
私は図らずも流れてしまった涙に自分でもびっくりしながら、しかし穏やかな気持ちでモニュメントを上がった。
会場の外れに噴水があり、それを囲むように屋台がところ狭しと並び、噴水の端には仮設のライブステージが設けられていた。
ジャズシンガーの若い女性がゴスペルやジャズのスタンダードナンバーを歌う。
ルミナリエに来た多くの方々が温かい飲み物やスープを片手に歌に聴き入っていた。
噴水をイルミネーションのアーチが一周する構造で、歌が終われば様々な光がランダムに点灯し、光の芸術となる。
神戸ルミナリエは震災で傷ついた街や人の心を元気付けるために始まった。
いまでは年数も経ち、財政難や会場周辺の交通規制などで日数が短縮された。
それでも10日間で関西周辺から300万人が来場する。
イルミネーション自体の美しさが魅力的なのも去ることながら、それをめぐる会場の雰囲気とみんなの想いが穏やかに調和した不思議さが感動的な催しだと感じた。
ホテルに帰り窓から見える観覧車の夜景を見ながら晩酌をした。
いろいろなことを想った。
ルームサービスで夜食をとり満腹になったところでそのままベットの上で寝落ちした。
気が付くと朝も10時前に起床。
電気もつけっぱなしで服を着たまま寝落ちしていた。
顔を洗い、朝食バイキングのチケットを見つめるがあきらめ、荷物をまとめてチェックアウトしてタクシーに飛び乗った。
今度来るときは1泊ではきついので連泊かな?朝食はバイキングだとスルーする可能性があるからそれもルームサービスにしようかな?などなど、いろいろと考えながら三ノ宮に着き、バスで伊丹空港に向い、昼過ぎのJALで羽田に降り立った。
今回の旅は様々な想いを巡らせることができた。
旅は心をキレイにする。
帰りのJAL便がつまらなかったこと以外は概ね良しとしたい。
行きのANAは富士山が見えたのに、同じ窓側を取った帰りのJALは雲が多くて富士山が隠れてしまっていた。
同じ機内サービスのコンソメスープもANAの方が温かくて美味しかった。
アテンダントの笑顔も応対もANAの方が良かった。
2年近く乗りまくったJALを一旦お休みして、来年からはANAを研究しようかと。
客の期待を越えるサービスをしてそうなのはANAなのかもしれない。
そう思った。
羽田から地元に向かうリムジンバスの中で日経新聞を読みながら、アクアラインをくぐって日常に戻った。
私の旅の始まりと終わりはそうして切り替わる。
こういうサービスはとてもうれしい。
チェックイン後はその日の遊覧船の最終便に乗り、大阪湾に沈む夕陽をさかなにグラスワインを飲みながら海風に吹かれた。
極上のひととき。
休暇はこうありたいものだ。
船を降りて絵葉書を買い、ホテルに戻り文通相手にメッセージを書いた。
それをコートのポケットに忍ばせ、夜7時過ぎに元町が会場入口のルミナリエにいざ出陣。
平日中日なのに会場まで30分かけ警察や機動隊、警備員やボランティアの誘導を受けながら順路を歩いた。
こういう機会だからこそ目につく普段なら来ないであろう、私が知らなかった街中の光景がまぶしく映った。
小綺麗なブティックや洋菓子点、メロウな雰囲気のカフェ、お洒落な洋食屋。
神戸がパリのように見える。まだパリは行ったことないから、イメージの中のパリね。
会場に着き、度肝を抜かれた。
感動が言葉を越える。
言語化が難しい。そんな体験は久しぶりだった。
同じイルミネーションでも、昔行ったことがある仙台光のページェントを優に越えた。
仙台も魅力的だが、イルミネーション単体での感動ではないのだ。
ルミナリエに訪れるみんなの気持ちが1つであることを感じさせた雰囲気がそこにはあったのだ。
イルミネーションのアーチをくぐると、誰しもが表情が変化する。
厳粛で穏やかだが押し殺したような空気。
鮮やかなライトの連続と、スピーカーから静かに流れる讃美歌。
みんな穏やかな表情で会場の奥へ奥へと誘われる。
会場奥に行くと鐘が一定のインターバルを挟みながら静かに、厳粛に打ち鳴らされている。
鎮魂、祈り。そして感謝。
そんな言葉が浮かぶ。
単なるイルミネーションとは違う。
宗教的なイニシエーションを感じさせる、不思議な空間がそこにあった。
鐘には列ができており、募金をすれば打つことができた。
私も列に並び、打たせて頂いた。
阪神淡路大震災で亡くなられた方々の想いを浮かべながら、鎮魂を祈った。
会場には鎮魂のモニュメントがあり、階段を降りて地下に降りると壁いっぱいに亡くなられた方々のお名前が刻まれていた。
ゆっくり、固唾を飲んで名前をたどった。
人の数だけ人生があり、思い出がある。
気が付いたら涙が流れていた。
上を見上げればアクリル天井の上が池になっている構造で、おそらく昼には池の水越しに太陽の光がモニュメント地下の壁に降り注ぐのだろう。
私は図らずも流れてしまった涙に自分でもびっくりしながら、しかし穏やかな気持ちでモニュメントを上がった。
会場の外れに噴水があり、それを囲むように屋台がところ狭しと並び、噴水の端には仮設のライブステージが設けられていた。
ジャズシンガーの若い女性がゴスペルやジャズのスタンダードナンバーを歌う。
ルミナリエに来た多くの方々が温かい飲み物やスープを片手に歌に聴き入っていた。
噴水をイルミネーションのアーチが一周する構造で、歌が終われば様々な光がランダムに点灯し、光の芸術となる。
神戸ルミナリエは震災で傷ついた街や人の心を元気付けるために始まった。
いまでは年数も経ち、財政難や会場周辺の交通規制などで日数が短縮された。
それでも10日間で関西周辺から300万人が来場する。
イルミネーション自体の美しさが魅力的なのも去ることながら、それをめぐる会場の雰囲気とみんなの想いが穏やかに調和した不思議さが感動的な催しだと感じた。
ホテルに帰り窓から見える観覧車の夜景を見ながら晩酌をした。
いろいろなことを想った。
ルームサービスで夜食をとり満腹になったところでそのままベットの上で寝落ちした。
気が付くと朝も10時前に起床。
電気もつけっぱなしで服を着たまま寝落ちしていた。
顔を洗い、朝食バイキングのチケットを見つめるがあきらめ、荷物をまとめてチェックアウトしてタクシーに飛び乗った。
今度来るときは1泊ではきついので連泊かな?朝食はバイキングだとスルーする可能性があるからそれもルームサービスにしようかな?などなど、いろいろと考えながら三ノ宮に着き、バスで伊丹空港に向い、昼過ぎのJALで羽田に降り立った。
今回の旅は様々な想いを巡らせることができた。
旅は心をキレイにする。
帰りのJAL便がつまらなかったこと以外は概ね良しとしたい。
行きのANAは富士山が見えたのに、同じ窓側を取った帰りのJALは雲が多くて富士山が隠れてしまっていた。
同じ機内サービスのコンソメスープもANAの方が温かくて美味しかった。
アテンダントの笑顔も応対もANAの方が良かった。
2年近く乗りまくったJALを一旦お休みして、来年からはANAを研究しようかと。
客の期待を越えるサービスをしてそうなのはANAなのかもしれない。
そう思った。
羽田から地元に向かうリムジンバスの中で日経新聞を読みながら、アクアラインをくぐって日常に戻った。
私の旅の始まりと終わりはそうして切り替わる。