例により、B型なのに神経質な私は今夜も葛藤中。
北朝鮮のことを考えていたら、そういえばかつてこの国は地上の楽園ともてはやされていた時期があったなあと遠い目になった。
戦後、世界中が右翼対左翼の思想闘争になり、地球上の国は右と左の思想でほぼ半分になった時期があった。
自由主義陣営と社会主義陣営という奴だ。
しかし、結果はもう皆さんのおわかりの通りだ。
社会主義は階級闘争に明け暮れ、人を派閥に分解し分裂を際限なく繰返し挙げ句の果てにはかつて思想を共にした仲間を反思想分子として粛清する。
いわば、社会主義は人間の本来的な芸術的な側面や内在化された非完全性をことごとく否定するに足る莫大な暴力性のエネルギーが強すぎることが本質的に非難されるべき瑕疵として存在している。
片や資本主義をその基本テーゼとして内包する自由主義はその人間本来の欲望的側面と密接に結び付いているが故に時に暴走し、時に安寧をもたらす。
これは景気変動の循環をみれば明らかだ。
顕著な例は世界恐慌やブラックマンデー、それにリーマンショックなどだ。
後はバブルなど。
適度にコントロールすれば今日的には思想的に最適解とされているのはそれが人間の本質的な欲望や欲求に根差した密接不可分な資本主義のシステムとしての優位性を誇示できるだけの所以であるところである。
現在、この地球上に於いて、最も人間性を抑圧し、人間の芸術性の開花を効率的に阻害し、人間の本質的平等を阻害しているのは社会主義だ。
矛盾に気付いたであろうか?
本来、社会主義は人間の芸術性の開花と苦痛からの解放のためのシステムとして目指された思想である。
しかし、長年に渡る実験により見えてきたのはむしろ逆で、資本主義も真っ青な程の一部の中央集権的エリートにより平民や低い階層、地方政府からの効率的な搾取と腐敗、堕落、モラルハザードに加えて強権的な抑圧である。
つまり、社会主義は人間を本質的には解放せず、抑圧と搾取と階級的な差別を生み出す。
ところが所与の前提条件で否定的なニュアンスがふんだんに謳われていた資本主義は、そのシステムの持つ最大の利点である紙幣による価値交換性と価値保存性と価値流動性により、あらゆる階層の人々も労働による時間の切り売りにより平易に紙幣による経済取引が実行でき、難儀な物々交換からの生活から解放された。
このパラドックスは、かのマルクスが予期出来なかった部分として批判の集中する部分である。
社会主義は本来的な想定から離脱し、人間を分断し続けた。しかも、許されない数の膨大な数の尊い人命を犠牲にし続けた。
これは社会主義が当初批判していたイギリス型の過度な資本主義による労働者たちの犠牲者数を遥かに越えている。
その意味では社会主義こそ犯罪的な思想であることの批判は免れない。
片や、資本主義は人間を統合する。
資本主義は自らを拡張し、拡大する爆発的なエネルギーを内包する。
現在の経済のグローバル化をみれば明らかだ。
資本主義の本質は暴力性と拡張性だ。
資本主義は自らを否定する思想に対し、浸透し溶解し、垣根を下げて拡張し、システムとしての優位性を日に日に増大し続ける。
人間の本質的な欲望と欲求に根差したもしくは支持されたシステムで有るがゆえに、あたかも感情や情念を有するように時に暴走し、時に安寧をもたらす。
経済は生き物と言われる所以である。
世界中の国の文化や言語や地域性を乗り越え、易々と様々な国に侵入し、その国の人々にルールに従うように教育し、拡大し続ける。
文化的や差異を溶解し統合するのだ。
資本主義はコントロールが肝心だ。
適切に政府が介入すれば人間の芸術性や労働生産性、治安の低下や文化的な高まりが期待できる。
しかし、コントロールに失敗すれば小さな政府になり文化も治安も不安定する。
左翼の目指した人間に対する理念は理解できるが裏付けが乏しい。
反対に、右翼の目指す人間への向き合い方は感情や情念に依拠する部分が多く、時に安定し時に不安定になる。が、しかし今日的には人間の統合には役立っていると評価される。
この、分断と統合の相反する力学的エネルギーのベクトルバランスをうまく調整する新たな思想、仮に第3の道と呼んでおくが、そういった思想は可能なのか?ということを風呂上がりにトリートメントを付けた頭をドライヤーで乾かしながら、貰い物のお赤飯のおにぎりを食べながら、案外うまいと感嘆しながら考えてしまったのでした。
北朝鮮のことを考えていたら、そういえばかつてこの国は地上の楽園ともてはやされていた時期があったなあと遠い目になった。
戦後、世界中が右翼対左翼の思想闘争になり、地球上の国は右と左の思想でほぼ半分になった時期があった。
自由主義陣営と社会主義陣営という奴だ。
しかし、結果はもう皆さんのおわかりの通りだ。
社会主義は階級闘争に明け暮れ、人を派閥に分解し分裂を際限なく繰返し挙げ句の果てにはかつて思想を共にした仲間を反思想分子として粛清する。
いわば、社会主義は人間の本来的な芸術的な側面や内在化された非完全性をことごとく否定するに足る莫大な暴力性のエネルギーが強すぎることが本質的に非難されるべき瑕疵として存在している。
片や資本主義をその基本テーゼとして内包する自由主義はその人間本来の欲望的側面と密接に結び付いているが故に時に暴走し、時に安寧をもたらす。
これは景気変動の循環をみれば明らかだ。
顕著な例は世界恐慌やブラックマンデー、それにリーマンショックなどだ。
後はバブルなど。
適度にコントロールすれば今日的には思想的に最適解とされているのはそれが人間の本質的な欲望や欲求に根差した密接不可分な資本主義のシステムとしての優位性を誇示できるだけの所以であるところである。
現在、この地球上に於いて、最も人間性を抑圧し、人間の芸術性の開花を効率的に阻害し、人間の本質的平等を阻害しているのは社会主義だ。
矛盾に気付いたであろうか?
本来、社会主義は人間の芸術性の開花と苦痛からの解放のためのシステムとして目指された思想である。
しかし、長年に渡る実験により見えてきたのはむしろ逆で、資本主義も真っ青な程の一部の中央集権的エリートにより平民や低い階層、地方政府からの効率的な搾取と腐敗、堕落、モラルハザードに加えて強権的な抑圧である。
つまり、社会主義は人間を本質的には解放せず、抑圧と搾取と階級的な差別を生み出す。
ところが所与の前提条件で否定的なニュアンスがふんだんに謳われていた資本主義は、そのシステムの持つ最大の利点である紙幣による価値交換性と価値保存性と価値流動性により、あらゆる階層の人々も労働による時間の切り売りにより平易に紙幣による経済取引が実行でき、難儀な物々交換からの生活から解放された。
このパラドックスは、かのマルクスが予期出来なかった部分として批判の集中する部分である。
社会主義は本来的な想定から離脱し、人間を分断し続けた。しかも、許されない数の膨大な数の尊い人命を犠牲にし続けた。
これは社会主義が当初批判していたイギリス型の過度な資本主義による労働者たちの犠牲者数を遥かに越えている。
その意味では社会主義こそ犯罪的な思想であることの批判は免れない。
片や、資本主義は人間を統合する。
資本主義は自らを拡張し、拡大する爆発的なエネルギーを内包する。
現在の経済のグローバル化をみれば明らかだ。
資本主義の本質は暴力性と拡張性だ。
資本主義は自らを否定する思想に対し、浸透し溶解し、垣根を下げて拡張し、システムとしての優位性を日に日に増大し続ける。
人間の本質的な欲望と欲求に根差したもしくは支持されたシステムで有るがゆえに、あたかも感情や情念を有するように時に暴走し、時に安寧をもたらす。
経済は生き物と言われる所以である。
世界中の国の文化や言語や地域性を乗り越え、易々と様々な国に侵入し、その国の人々にルールに従うように教育し、拡大し続ける。
文化的や差異を溶解し統合するのだ。
資本主義はコントロールが肝心だ。
適切に政府が介入すれば人間の芸術性や労働生産性、治安の低下や文化的な高まりが期待できる。
しかし、コントロールに失敗すれば小さな政府になり文化も治安も不安定する。
左翼の目指した人間に対する理念は理解できるが裏付けが乏しい。
反対に、右翼の目指す人間への向き合い方は感情や情念に依拠する部分が多く、時に安定し時に不安定になる。が、しかし今日的には人間の統合には役立っていると評価される。
この、分断と統合の相反する力学的エネルギーのベクトルバランスをうまく調整する新たな思想、仮に第3の道と呼んでおくが、そういった思想は可能なのか?ということを風呂上がりにトリートメントを付けた頭をドライヤーで乾かしながら、貰い物のお赤飯のおにぎりを食べながら、案外うまいと感嘆しながら考えてしまったのでした。