葉桜の鮮やかな緑が陽光に煌めき幾重にも重なる色の集合体を作っていた。

 

葉を揺らすゆったりとした風に逆らう様に大股で歩く者が見える。

ずんずんずん、と着物の裾を乱しながら歩を進める巨躯の男。

男は何故穏やかな空気を掻き乱す様に勢い良く歩いているのだろう。

 

そう、男はただただ蕎麦を食べたい、その一心で驀進しているのだ。

彼の名は池之端長七郎。

すれ違う者は誰も知らないが江戸指折りの剣客である。

 

いつもは一人で蕎麦を食いに行く長七郎だが今日は並んで歩く男がいる。

長七郎より少し背の低い色白でさらりとした長髪を靡かせる優男。

長七郎の友人の一人、首藤礼三である。

 

「長七郎、ちょっと歩くのが早い。容赦せんぞ」

「お前が早いから合わせとるんじゃ。ゆっくり脚を運んでくれ」

「お前が先にゆっくりにせぇ」

「いや、お前が」

「何言っとるか。お前こそ」

「歳を考えるとお前が先に」

 

この不毛なやり取りを何回も繰り返している負けず嫌いな二人である。

 

浅草寺の脇をそれこそ駆け抜けるか如き勢いで通過しようとすると「首藤様ぁ〜」と黄色い声が飛んだ。

数人の女達が首藤に手を振っているのが見える。

どうやら首藤の道場に通う良家子女達らしい。

優男ぶり甚だしい首藤の道場は女の練習生で溢れている。

野良猫や雀、狸、燕が居付く長七郎の道場とは大違いである。

 

急に立ち止まり「お前達、こんな所で遊んでないで女を磨けよ」と長七郎が聞いた事も無いような優しい声をかける首藤。

 

長七郎は急には止まれず派手に転倒。

「いたたたた!おい、急に止まるなよ」

鼻血を垂らしながら立ち上がろうとする長七郎。

「何しとるんだお前は。容赦せんぞ」

手を差し伸べながら首藤は気が付いた。

鼻を押さえて膝を付いている長七郎の前に一人の女が驚いた顔で口元を押さえて立っていたのだ。

此処は小さな辻。

どうやら長七郎はこの女を避ける為に敢えて転んだ様だ。

「止まるなら止まると言ってくれ」

長七郎が着物を叩(はた)きながら立ち上がる。

と、件の女が目を見開いて長七郎を見つめているのに気付いた。

「おい長七郎。お前の知り合いか。容赦せんぞ」

首藤も女の視線に気付いた様だ。

幼さが残っているようなそうでない様な、大人と子供、両方の雰囲気を持つ色白な女だ。

「いや、知らんぞ。これ、何か用か?驚かせて済まなんだ」

長七郎が声を掛けると女は急に焦った様な表情になり、くるりと背を向けると小走りに走り去ってしまった。

 

「何だ、やはり知っているんじゃあないのか。以前手を出したとか。容赦せんぞ」

「知らんなぁ。わしゃそんな女子に手を出したりせんよ。乳や尻を眺めるのは好きじゃが」

「変態め。容赦せんぞ」

「しょうがないよ。目が行っちゃうんだもの」

「修行が足らんなぁ。容赦せんぞ」

「自分でも分かっとるわい」

 

そんな会話をしながら長七郎の心に何か引っ掛かる物があった。

『思いだせんが…何処かで見た様な気もする…うーむ。何処じゃろ?』

 

考えを巡らせているうちに雷門を通過し、本願寺の手前の誓願寺の参道に辿り着く。

その参道の始まりの一角に見える生蕎麦鶴屋、の看板。

「おお、相変わらずええ鰹の匂いがしとるなぁ」

そう言って鼻をくんくんと動かす長七郎。

「柳橋殿は先に来てるかな?」

首藤が暖簾をくぐる。

『今日は一体何の話じゃろな』

柳橋本人ではなく使いの者が柳橋の伝言を伝えに来た時は公務が忙しい時だ。

それはつまり火頭改が忙しい、江戸の町に何かが起こっている証である。

しかも長七郎や首藤までもが呼ばれる…

『取り敢えずもり、にしとくか』

まぁじきに分かる事さ、と何を食べるかを先に決める長七郎であった。

 

 

 

 









シリーズ第18弾


 

 




 

 

 

 

 

 

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