二人の侍は目配せするとお互い顔を見合わせ軽く頷き、無言になり、酒を注ぎ、蕎麦を啜った。

が、注意深く聞き耳を立てる事は怠らない様に見える。

 

一方の老人と田沼、と言われた侍はまだ話し込んでいる。

「それでな龍助。これから久命が此処に来るんでな。帰りにお供に連れて行ってくれ。お主の護衛じゃ」

「ほほう。ご老体自らでは無く、その武田の倅にわしの警護をか」

「左様。わしはまだ長旅の疲れが抜けんでな。先に帰って休んどるわい」

「ふふ、相変わらず勝手な」

田沼が陣笠の下でにやりと笑った。

剣術大会を開くだけあって田沼自身もそこそこ腕に覚えがある。

本当はそんなお供など要らんのだが・・・と思ったが武田虎刹の息子、という点が大いに田沼の興味を惹いた。

 

武田虎刹は田沼の家臣達の剣術指南役であったが立場がどんな者でも容赦無く打ちのめしていたので大いに恐れられた男だ。

その鬼神の息子とは一体どの様な形(なり)で、どの様な顔をしているのか。

「お、近づいて来たな」

老人が呟く。

「?」

田沼が訝しがった。

この誓願寺参道門前町は喧騒に包まれ多くの足音が聞こえ、通りを行き交う人々の話し声も多く聞こえる。

それなのに近付いて来た、とは一体どういう事なのか。

 

と、鶴屋の引き戸が開けられ、一人の若者が顔を出した。

「御師様!お迎えに上がりました!」

「おお、来たか久命」

相好を崩す老人。

田沼が逆光の中に佇むその男を凝視する。

 

身の丈は六尺ほど。かなりの大男である。

成る程、顔は言われてみれば虎刹によく似ている。

高く太い鼻柱、太い眉、鋭くも何処か優しい眼差し。髪は伸ばしており、後ろで一つに纏めている。ちゃんとした髷ではない。

 

目付きがもう少し険しく、鼻の下に髭があれば虎刹そのものだな、田沼は思った。

 

「久命···いや、今は長七郎だったか」

老人が背筋を少し伸ばして問う。

「そうです。池之端長七郎です。お忘れでしたか」

「わしの中では鼻垂れの久命じゃ。どれ、今食うとるこの蕎麦を片付けたらこちらの御仁をお送りするのだ。幕府の要人だからな、間違い無き様にな」

「分かりました。取り敢えず外でいいですか」

長七郎が入口の方を指差した。

「ああ、ええぞ。外でしばし待ってくれ」

「はい」

短かく返事をすると長七郎が外へ出て行った。

 

「どうじゃ龍助。あれが虎刹の息子じゃ」

「虎刹に良く似ておるな。面白い事に幕府の要人、と聞いても眉一つ動かさなんだ。そんな所も似ておる。戸惑う訳でもなく媚び諂う訳でもなく」

「ああ、奴にとっては身分などどうでもいい事なんじゃろ。あくまでも人としての中身を見ている。そう教えたからな」

「ほほう。立場や身なりで判断すると剣に迷いが生じるというあの教えか」

「そういう事。剣の前、命のやり取りにおいては立場や金など関係ないからな。あくまでも本質を見よ、とな」

「わしはどう見られたかな。ふっふっふ」

「後でやつに聞けば良い。忖度無しに答えてくれよう」

「それは楽しみじゃ」

「天下の田沼が一人の若造を気にするか。ふはははは!」

「ここまで来ると誰も何も言って来ないからのう。ご老体くらいだ。耳の痛い事を言ってくるのは」

「それはいかんのぅ。知らない間に知らない所で恨みつらみを買っているかも知れんぞ」

「ああ、そういう話は少しは耳に入って来る。全ての意見を取り入れると政(まつりごと)というのは上手くいかんものだ。少々の齟齬、軋轢が生じるのは覚悟の上でやっている」

「その中にこそ真実が隠れている事もあるぞ龍助。それを見極められる力がお主にあるかな?」

老人の目が鋭く光った。

 

「そのつもりだ」

「ならええわい。しっかりな」

「流石自斎翁。斬り込んで来る鋭さは健在」

「持ち上げるな。わしなどもう前時代の遺物よ。今は久命・・・いや長七郎達の時代。まぁ奴の様な剣術一途の者には生きにくい世かもしれんがのぅ」

「確かに」

「おっと、すっかり長話をしてしまったな」

こう言うと老人は盃をあおり、いくばくかの金を卓に置いた。

「いや、ご老体。ここはわしが払っておこう。京に帰る前にゆっくり江戸見物などするが良い」

「ふふ、ありがたい。お言葉に甘える事にしよう」

老人は笑顔になり席を立った。

 

 

 

 

 

 

 

つづく