令和2年11月の俳句等-その2(俳句抜き) | 知らない間に、ぶつぞうクン(旧:「邂逅 to 未来♪」 のために!)

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人は生まれる前から・・

すべて・・未知なる出合いによって始まっており・・
すべては明日のために有る・・
縁を感じ大切に・・

今までのこと・今のこと・これからのこと。
いつでもどこでもすぐに・・
様々な場面にウォークイン!!
文字と写真でつづります。



前回のブログでコンサートの事を書きました
今月上旬に開かれました

場所は戸塚になります
いわゆるトライアルコンサートになります

 

 



コロナ禍でこのようなコンサートが開かれ無事に終えられましたこと
感謝いたします

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昨年以来の選曲で歌わせていただきました
「わたしが一番きれいだったとき」

 



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昭和を代表する詩人のお一人
茨城のり子さんは
十五才で開戦を十九才で終戦を体験されました

後年この時のことを詩に書いております
この詩に四十年以上ライブ活動をされている方が曲を付けられました

 


              (リハ中の映像)
 

歌うほどに内容の濃さに圧倒されます
この詩は教科書にも載っております

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迷いに迷った末にこのブログを書かせていただきました
内容の拙さはご容赦ください

ピアニストさんに助けられた一曲です
youtubeでご覧いただければ幸いです

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追記:令和2年11月26日

 

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達がたくさん死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり
卑屈な町をのし歩いた
 

 

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れ(て)た
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
              ね