猫さんたちに人気の箱だったので
黒土を入れて稼働するまでに
時間を要してしまったキエーロ
黒土18Lを入れて
生ごみを投入しました
シャベルで土を掘って
生ごみを埋めたときに
ふっと思い出したことがありました
私が子供のころ
うちの生ごみはバケツに集めて
それを祖母が山の畑にもっていって
土に埋めていました
バケツに集めた生ごみを
私たちは「豚餌」と呼んでいました
豚がそこにいたわけではないのですが
きっと祖母が子供のころは
きっと本当に「豚の餌」だったのだと思う
自然なままのキエーロだね
私はもうすぐ48歳で
静岡県沼津市出身です
自分の子供時代が
そんなに昔のことなのか?
自分が住んでいた場所が
あまりにも田舎だったとは
思ってもいないのだけれど
思い出してみると
時代はあっという間に
変わってしまったのだと
振り返るとしみじみと思います
近くには養鶏場があって
子供のころはカゴをもって
おつかいにでかけて
1キロのミックスの卵(小玉と中玉)を
買いに出かけることが多かった
おばちゃんが量りで図ってくれて
いつもおまけをくれました
有精卵もあって、それを買って
もしかしたら雛が孵るかもしれないと
温めたこともありました
平飼いではなかたけれど
ニワトリたちをみて
窮屈そうな感じはしなかった
ニワトリをねらってくる
山から下りてくるたぬきがいて
わなにかかったたぬきを
駆除するわけではなく
そこの家で飼っていました
だから、卵を買いにいくときには
ニワトリもたぬきも
見学することができるので
楽しみでした
カゴに入った卵は遊びながら帰ると
いくつかは割れていたり
ひびが入ってしまったりすることがあって
叱られることもありましたが
それから近くには牛乳を搾るために
牛を飼っている農家さんがあって
通っていたピアノ教室の近くにあったので
牛を眺めるのも楽しみでした
白と黒の模様の大きな牛の目は
とっても優しくて
牛たちは鼻輪をつけて
拘束されていましたが
落ちている藁をあげると
食べてくれて嬉しかったな
牛が苦しそうだったという
印象はまったくありません
ピアノは苦手だし
練習も全くしないので
ピアノ教室に通うのは憂鬱でしたが
牛がいるから通えたようなものでした
この牛乳屋さんは
同級生の家がやっていました
それから近くには乗馬場もあって
馬たちが何頭がいました
犬に吠えられるし
追いかけられるので
馬に近づくのは至難の業でしたが
それでも馬を眺めるために
なんども馬舎に近づいたことがあります
スリル万点の遊びでした
第二次ベビーブームの終わりかけの
時代だったから
小学校の1クラスは45人ぐらいが
1学年5クラスあって
それが6学年の小学校でした
その中には
牛乳屋さんが2件
卵屋さんが1件
乗馬をやっているところが1件ありました
小学校の学区の中には
それぞれの商売をしているうちが
たくさんあって
近所で成り立っている
コミュニティだったのだろうと思いますが
私が高校生になるころには
養鶏場も牛舎もなくなりました
時代の流れとともに
便利さを追求した結果
そのままの商売を続けていくことが
難しくなったところが多かった
あれから40年がたちましたが
便利な世の中になったのかな?
行き詰まりを感じはじめているから
また昔に戻ろうとしているのでは?
小さな箱型のキエーロを作って
購入してきた土を買い
小さな穴をほって
生ごみを埋めながら
ふっとそんなことを思い出したので
つれづれなるままに書きました