比叡山への旅で、自分の直感に従って

気の向くままに動きまわって
出会ったのは、不動明王でした。
 
この旅でも多くの
仏像を見ましたが
私が気になったのは不動明王。 


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如来や菩薩さまの優しい表情より
怖い顔をして牙をむき
鋭い目でにらんで
手には剣と縄をもって
火炎を背負っている
そんな不動明王が気になりました。
 
戒めが必要なのか?
それとも
火の中にいることに興味があるのか?
 
と気になったのです。
 
不動明王の仏像は
今までも見たことはあったのだけれど
どういう仏さまなのかわからなかったし、
お護摩をしていただいたこともあったけれど
それがどういう意味だったのかを
興味を持って調べ始めたのは初めて。
そういった意味では新しい出会いでした。
 
星野リゾート
比叡山
千日回峰行
酒井雄哉
大阿闍梨
無動寺明王堂
不動明王
 
気ままに出かけた旅で、たどり着いたもの。
 
よく、〇〇に呼ばれて、
と表現されているのを目にしますが
呼ばれてというのは
外から何かに動かされているというより
内なる自分が自分を呼んで、
自分で導いて、それに反応して、
自分が動くことを決めた
ってことなんだろうと思います。
呼ぶのも、導くのも自分。
 
そういった意味では
不動明王に導かれてと
後付けで言える旅だったのかな
 
そんなことも感じました。
 
比叡山に向かう前に
京都の東寺によりましたが
その中でも目を引いたのが
不動明王像。

横川中堂で写経をしましたが
たくさん写経場がある中で
そこを選んだのは
不動明王像の前に写経場があったから。
 
比叡山を降りる前に最後に向かったのは
千日回峰行の本拠地の無動寺明王堂。
「堂入り」のときに行者は
不動明王のご真言を10万回唱えるという・・・
 
不動明王って、どんな仏さまなのだろうと
気になって本を読んでみました
 
 
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右手は煩悩を断ち切る剣を
左手にはふらふらしている心を
繋ぎ止める縄をもっているのだそう。
背負っている火炎は
悪い心や煩悩をもやすためなのだそう。
 
迷う心を切り、縛り、心の中の
もやもやを燃やしてしまう仏さまだった!
 
私がキャンドルを灯して
その炎をみながら自分の思いを
吐き出しているのと
似ているのかなぁって
 
人生は選択の連続だけれど
多くの選択肢の中から一つを選ぶのは
同時に他を諦めるということにもなります
 
他の選択肢を捨てたいう自覚がないまま
一つの選択肢を選んで
あちらにすればよかったと迷うこともあります
 
そんな迷いを火炎で燃やしてしまい
不動明王は固い岩の上にいて
心が動かないのだといいます。
 
 
昨日は新月で、新月のたびに
こうなっていたいなという宣言を
ノートに書いていました。
 
その中で、ここ数年来ずっと
①と②の願いをしていて
①が成就したら、②は成就でいない
②が成就したら、①は成就できない
という矛盾する願いを同時にして
それに気づいた半年ぐらい前に
①と②を天秤にかけて
優先したい①のために、
②の願いを諦めることを決めました
 
そうしたら①が成就しましたが
②に対しての未練というか
もやもやする気持ちが
ちょうど出始めたところでした
 
比叡山への旅で、不動明王に出会い
「決めたら他を諦める」を
教えてもらったような気がしています
 
不動明王の火炎にもやもやする思いを
投げ入れてきました
 
だから日々、毎日生まれ変わる。
酒井雄哉・大阿闍梨の本でも
伝えていた「一日一生」は
不動信仰の一部なのかもしれないな
 
あれから不動明王のお力をもらえるように
ご真言を毎日唱えていますニコニコ

そして改めて火の不思議な力を感じました