今朝、各メディアが、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ 2019」の企画展示「表現の不自由・その後」の主催者である 愛知県 などに対しファクスで脅迫文を送りつけた男が7日、逮捕されたと報じています。「えっ、もう捕まったの? はやッ」です。
 で、犯人は会社員 堀田修司 59歳。評論家の先生たちが言っていた「ネトウヨというのは、若い人じゃなくて、50代60代で定職を持ち、それなりに人生経験を積んできている人たち」という分析が見事に当たっているようです。

「弁護士に懲戒請求せよ」と無責任に煽っていた 余命3年ブログ にコロリとダマされ、実際に弁護士に懲戒請求を申し立てたところ、逆にその弁護士から不当請求で訴えられ、数十万円から数百万円の損害賠償請求されて泣きワメくハメになったおバカちゃんたちも大体これくらいの年齢の人たちでしたね。
  一言で言えば、50歳や60歳にもなって " 世の中の仕組みがよく理解できていないから、ネットに氾濫するウルトラ・バカ動画や同サイトやら、書店にうずたかく積まれている極右雑誌などの内容をホイホイ信じ込む " という構図です。そして、これらに煽られたまま軽々しくヒョイと行動するのでしょう。

 こうした構図を考えれば、" ネトウヨはやはり正真正銘の激バカ " と言うほかありません。ただし、バカに「お前はバカだ」と指摘しても、反発されるだけなのも確か。否、彼らは信じ込んでいるのですから、依怙地になり、いっそう過激な言動に走る可能性すらあります。これが面倒です。
 こうした現象と自らが受けてきた学校教育を考えると、「日本の教育で決定的に欠けているのは、憲法 に関する教育である」との結論に至ります。

 特に「主権者とは何か」という点が最重要です。これまで主権者教育としては " 1)国政の意思を決定する権限を持つのが主権者 であり、2)日本国憲法では主権者は国民である " という点だけだったと思います。そして、生徒や学生はこれを暗記するだけ。そもそも、主権とは何か、国政の意思決定とは何か、憲法とは何か、国民とは何か、などの論点をきちんと教えてきたとは到底思えません。
 実際、2015年の公職選挙法改正で選挙権が18歳以上に引き下げられたため、文科省は " 主権者教育 " を実施するため「高等学校等における政治的教養の教育と高等学校等の生徒による政治的活動等について」という通知を出し、各高校で " 政治的教養教育 " を行うことになりました。このため、文科省は全国すべての高校生に対し副教材『私たちが拓く日本の未来』を配っています。

 ですが、その副教材の内容は " 求められる4つの力 " として ○ 論理的思考力、○ 現実社会の諸課題について多面的・多角的に考察し、公正に判断する力、○ 現実社会の諸課題を見出し、協働的に追究し解決(合意形成・意思決定)する力、○ 公共的な事柄に自ら参画しようとする意欲や態度、となっていますから、タメ息が出ます。官僚お得意の言葉遊びに過ぎず、バカ丸出し。
 はっきり言って、これじゃ全然ダメ。なぜか。それは文科省自身が " 主権者教育 = 政治的教養教育 " と捉えている、否、スリカエている点に如実に表われています。

 選挙権 --- 正確には投票権が18歳以上となったのですから、本来、行うべき教育は「主権者とは何か & 何ができるのか or できないのか」を教えることであって、「主権者が持つべき政治的教養」を教えることなど不要です。加えて、政治的教養という言葉自体が既に意味不明。「政治的教養とはコレだ」と答えられる人がいるなら、ゼヒ、教えて欲しいところです。従って" 主権者教育 = 政治的教養教育 " とする文科省の言い分は既に破綻しています。
 と言うか、文科省のやり口は本来の 主権者教育 から巧妙に論点をずらしています。

 繰り返しますが、主権者に政治的教養など不要ですし、日本国憲法下の主権者、すなわち国民一人一人が必ず知っておくべきことは、1)国民は納税義務を負うからこそ主権者であり、それゆえ、2)納税者たる国民=主権者は税金の使い道を知るべきであり、同時に、3)税金がすべて国民福祉のために使われているかを監視すべき、であり、4)国民に代わりそうした監視を行い、国民に代わり具体的にナニに税金を使うかを決めるのが国会議員、ということです。この4点こそが主権者教育の原点です。

 もちろん、公務員も国民ですから、主権者の一人です。しかし、公務員は国民すべてに奉仕することを自ら選んで仕事にした --- それゆえ、税金から給料をもらう --- のですから、まずは国民福祉の増進のため誠実に務める義務を負います。
 しかも、こうした国民主権体制を決めているのは根本原理は日本国憲法ですから、公務員やそれに準ずる身分にある者が憲法改正を主張することなど論外です。実際、このことは憲法第99条で明文で規定されています。憲法体制下で職務を行い、給料をもらっている公務員が憲法改正の音頭取りができるなら、それは国民主権ではなく、公務員主権となってしまいますからね。

 つまり、税金で養われている公務員が、憲法を自らに都合よく変更できるなら、最早それは憲法ではなく、単なるお手盛り法 --- 公務員による公務員のための法に過ぎません。同時に、国民は公務員の奴隷に堕してしまいます。
 ここまで考えてくると、日本国憲法がなぜ基本的人権 --- 特に、生命・身体の保護と思想・表現の自由と私有財産権 --- を保障しているかが分かります。これらの基本的人権が保護されないなら、たとえ国民が主権者だとしても、簡単に逮捕される、有無を言わさず口を封じられる、強引に税金を取り立てられる、となってしまい、国民は最早、主権者として存在できなくなります。公務員の奴隷になってしまいます。

 今回の事件『表現の不自由展・その後』の展示について、「大至急撤去しろや、さもなくば、うちらネットワーク民がガソリン携行缶持って館へおじゃますんで」などと脅迫文を送った堀田修司なる被疑者がどれほど大バカ者かが分かります。この大バカ者は公務員ではなく、主権者たる国民でありながら、自らの基本的人権を守るのではなく、むしろ、人権を阻害するほうに動いたワケです。
 もし、この大バカ者が望んだ社会 --- 基本的人権を制限 or 否定する社会になったならば、今後の取調べにおいて、自白強要はもちろん拷問すら行われる可能性もあります。

 いいですか、皆さん。皆さんの思考の方向性が右だろうが左だろうが、日本国憲法が保障する基本的人権こそは、私たち国民が納税者であるからこそ主権者であり、主権者として行動するためにゼヒとも必要であることをしっかり理解すべきです。
 間違っても、日本国憲法の権利条項に手をつけるようなバカなマネはしてはなりませんし、それを主張する公務員 --- 総理大臣や国会議員はもちろん、国立大学教授など --- の言うことを信じちゃダメですよ。(2019/08/08 記述)
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