さいたま市在住の男性が東京地裁に提訴した 衆議院議員選挙供託金違憲訴訟 の判決が去る5月24日に出され、男性敗訴の結果となったことを去る5月26日に本投稿でもお伝えし、判決を批判しました。今回は選挙供託金制度についてさらに考えていきます。恐らく、多くの皆さんが驚かれるでしょうが、わが国で選挙供託金制度がスタートしたのは1925年(大正14年)、思いっきり 戦前 ですし、しかも100年近く前(!)。以下、順を追って見ていきます。

 わが国では1889年の 大日本帝国憲法 発布を受けて、衆議院議員選挙法 が制定されました。詳しい人なら「えっ? 大日本帝国憲法下でも帝国議会(=国会)は貴族院と衆議院の2院制だったはず。貴族院議員の選出は選挙じゃなかったの !?」と思われるでしょう。そうです、貴族院議員の選出は選挙ではありませんでした。その辺をザックリ説明します。

 明治維新後、四民平等の世の中になったはずですが、それはあくまで建て前。実際には上から順に、皇族、華族、貴族、平民 と4階級があり、四民平等は事実上、平民階級のハナシ。で、貴族院議員は皇族、華族、貴族の3階級から選ばれることになっており、皇族などの一部は成人すれば自動的に議員となり、その他は各階級間での互選。従って、今の感覚で言う選挙はなし。任期も一応7年間でしたが、一部は終身という具合。

 つまり、大日本帝国憲法体制下では、国会は貴族院と衆議院の2院制でしたが、一般国民が選挙で議員を選んだり、立候補することができるのは衆議院のみ。しかも、一般国民といっても 一定の額の納税実績がある25歳以上の成年男子のみ に限られていました。選挙権 --- 投票権&立候補権 --- がこのように制限されている選挙制度を 制限選挙 と言います。現実には国民の約5%ほどが有権者でした。

 明治維新を経て、新しい社会が生まれたのかと思いきや、実際には江戸時代の徳川家支配に代わって、維新というクーデタを主導した 薩長閥 とそれに加担した皇族や公家勢力が支配の実験を握ったのが明治新政府だったわけです。ですから、憲法がつくられて、議会が設立されても、一般国民の出番はなし、という状況。西洋に追いつけ追い越せで近代国家になったはずが、実質は封建勢力のトップが交代しただけ --- これが明治新政府による統治体制でした。

 当然、こうした状況に一般国民から反発の声が上がります。当然です。一般国民も少ない額とは言え、税金を徴収されますし、何より男子は徴兵義務が課されていましたから「自分たちも政治に参加させろ!」という声が出るのは当たり前です。逆に、女子には徴兵義務がありませんから、一般男子よりさらに権利を制限されていました。この男女差別 --- 現在でも解消されていませんが、本当はこれも相当におかしなモノです。なぜか。

 なぜなら、子供 --- 将来の国民を生むのは女性にしかできないことですから。冷静に考えれば、子供を生む女子の能力は男子の徴兵義務よりもはるかに国家的重要度は高い。それゆえ、女子に徴兵義務がないことを理由に権利を制限するのなら、女子の子供を産む能力を正当に評価しなければ、不公平極まりないことになります。人殺しに従事させられる義務を評価するくらいなら、自発的に人を産む能力こそをより高く評価すべきは言うまでもありません。

 このように、明治新政府の考え方は封建体制のレベルを超えるものではなく、一般国民の不満は高まります。こうした一般国民の不満が極まったのが大正デモクラシー運動です。1917年のロシア革命の衝撃はわが国にも伝わり、普通選挙制度を求める大衆運動 --- 大正デモクラシーが高まる中、貴族院議員を務めた 清浦圭吾 総理の内閣はこうした大衆運動が社会主義革命へと転じることを恐れ、やむなく男子普通選挙制度を受け入れたのでした。

 要は 大衆運動へのガス抜き だった次第。学校などではこの男子普通選挙制度をただ普通選挙制度とのみ教わるかもしれませんが、それは大きな間違いです。
男子普通選挙制度導入の過程で、明治憲法上、主権者である天皇の最高諮問機関とされた 枢密院 の圧力により 1)被選挙権は25歳以上とすること、2)選挙供託金(当時で2000円!--- 現代の価値で約240万円)を立候補要件とすること、が加えられました。ここで注目して欲しいのが選挙供託金の額。

 現代の価値で240万円ほどでしたが、この額は現在の衆議院議員小選挙区立候補に必要な供託金額300万円とほぼ同レベル。この事実が教えてくれることは " 敗戦により、日本は天皇主権国家から国民主権国家に変わったにもかかわらず、政府は一般国民が国政に進出することを制限しようと考えている " ってこと。「選挙供託金の額を戦前同レベルの300万円にしておけば、一般国民は立候補したくてもできないだろう」との政府サイドの読みが伝わってきます。

 政府の考え方がバレバレと言うか、実に分かりやすい。あくまでも政府サイドは、戦前同様、一般国民が政治の世界に進出してくることを制限しようとしているのです。戦後、日本国憲法体制、すなわち、国民主権=民主主義国家 になった日本で、政府のこのような考え方は到底許されません。そして、特に強調しておきたいのは " 選挙供託金は政府によって没収される可能性が高い " という事実です。この点は絶対に忘れてはなりません。

 具体的には、各選挙において選挙供託金の額は変わりますので一概には言えませんが、衆議院議員小選挙区立候補の場合、有効投票総数の1/10以上の票を獲得できなければ、供託金は全額没収され、国庫に収納されます。ここで皆さん、よ~く考えてください。そもそも、日本国憲法体制、すなわち国民主権体制においては、国政の最終的な意思決定権を持っているのは国民自身です。つまり、国民は自発的に 国政に参加する権利=選挙権 を持っているのです。

 そして、国民から選ばれて国会で国政を議論し、現実に意思決定を行うのが国会議員です。ですから、国民の誰もが成人年齢に達すれば、国会議員に立候補できる権利が保障されることこそが、国民主権国家の大原則です。国民主権国家を標榜しながら、一般国民が国会議員に立候補できないならば、それは国民主権ではありません。従って、成人となった国民が立候補するに当たり、何らかの障害があるなら、その障害は取り払われなければなりません。

 こう考えてくると、大日本帝国憲法体制、すなわち天皇主権国家だった状況で一般国民が立候補することを制限する制度だった選挙供託金制度を、その額のレベルもそのままに日本国憲法下、国民主権国家である現在の日本で運用すること自体が既に違憲そのものと言わざるを得ません。選挙供託金制度は国民主権を形骸化する非民主的施策です。その上、供託金を納めて立候補しても、獲得票数が少なければ、供託金没収は明らかにやり過ぎ。

 日本国憲法下では、選挙権 --- 投票権&立候補権 --- は憲法第15条及び第44条により保障されている基本的人権の一つです。国民主権国家ですから当然の話です。ところが、立候補権については選挙供託金を納めなければ立候補できず、納めたとしても獲得票数が少なければ、供託金は全額没収される。これじゃ、まるで立候補すること --- 基本的人権の行使が何か悪いことをしているような状況です。供託金没収は立候補したことに対する事実上の 制裁 と化しています。

 憲法上の基本的人権の一つである立候補権を行使するのに多額のお金を納めさせ、立候補しても獲得票数が少なければ、そのお金を全額没収するのでは、まるで政府が国民に対し「お前ら一般人は立候補などせず、黙っていろ」と脅しているのと同じです。そして、供託金没収はその脅しに屈しなかったことに対する制裁となっています。こんなバカバカしい制度を維持しているのは、最早、日本だけです。

 現在、国会議員を擁する各政党には、政党助成法に基づき、政府より政党交付金が支払われます。この政党交付金の原資として、国民一人当たり年間250円が徴収されている計算です。大雑把に見ると、政党交付金は議員一人当たり約5000万円ほど交付されています。つまり、既存政党に所属する議員は、立候補する際に納める選挙供託金だけでなく、選挙費用すべてをこの交付金でまかなうことができる寸法です。

 実際は、各政党から公認候補に認められると、政党から公認料として選挙供託金と選挙費用が支払われています。まったくの新人候補者は自分で選挙供託金と選挙費用を用意しなければなりませんが、政党公認候補はそんなお金の心配は要らないということ。しかも、獲得票数が少なければ、選挙供託金は国庫に没収され、選挙費用はムダ金となってしまいます。新人候補にとってはまさに踏んだり蹴ったり。当然、憲法第14条が定める 法の下の平等 違反です。

 いいですか、皆さん。以上、見てきたように、現行の選挙供託金制度は獲得票数によって供託金が没収されるという異常な制度であり、こんな制度を未だに運用しているのは日本だけです。そして、この制度が天皇主権体制下で生まれたことを考えれば、国民主権体制下の日本でそのまま運用していいはずがありません。明らかに憲法が定める法の下の平等に反しています。

 とても重要なので、まとめつつ繰り返します。選挙供託金制度が政党交付金制度と結びついている現在、既存政党からの立候補者は、選挙供託金と選挙費用を政党交付金 --- 政府から支出される公金であり、その原資は税金 --- によってまかなうことができるという超優遇措置ができ上がっており、コレは、一般国民が自腹で選挙供託金を用意して立候補することと比べ不公平そのもの。しかも、獲得票数が少なければ、供託金を全額没収されるのですから、一般国民からの立候補者にとって損害が大き過ぎます。

 最早、これほど不公平な選挙制度は到底民主主義とは言えません。こんな状態が戦後ずっと民主主義を掲げる日本国憲法体制下でまかり通ってきたことに強い怒りを覚えます。私たちは、まず、選挙供託金制度の廃止に向けて声を上げるべきですし、正当な人権行使である立候補に対して課される供託金没収は財産上の 制裁 以外の何者でもありません。一刻も早く廃止させるべきです。こうした制度が続くならば、日本は本当の民主主義国ではありません。(2019/06/23 記述)
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