しばらく前から " 偏向報道 " という言葉を目にするようになりました。偏向 すなわち 偏った という意味ですから、偏向報道 とは " 公平ではなく、いずれかに偏った報道 " ということになりそうです。そう思って、ネット上にあふれる「これは偏向報道だろ」という投稿がされている状況を観察すると、朝日新聞に代表されるリベラル系の新聞や雑誌、他のメディアが偏向報道と批判されているようです。

 要するに、現在の安倍晋三政権、すなわち自民党&公明党とそれにすりよる日本維新の会の議員らやその支持者らが、朝日新聞やリベラル系メディアを「偏向報道だぁ!」とワメいているという次第。はっきり言って、レベル低過ぎです。しかも、そんなオツムの弱い人たちが支持しているのが政権擦り寄り評論家や作家、学者などの御用言論人。こうした人たちもオツムが不自由な人たちであり、彼らの文章が掲載される一部の新聞やおバカ右翼雑誌です。

 いいですか、皆さん。こんな新聞や雑誌などをお金を出して購入するのは止めたほうがいいですよ。なぜなら、こういうメディアは 百害あって一利なし ですからね。今回は「こういう安部政権ヨイショメディアが、なぜ、百害あって一利なしなのか」について検討します。読みやすいように、北海老人と南太郎君の対話形式で進めます。

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 北海老人の家に酒と米の配達に来た南太郎君。とっくに配達は終わり、代金ももらっているのだが、縁側に腰を下ろして、北海老人宅がとっている朝日新聞をめくっていた。そこに、北海老人が現れた.........。

北海老人:何じゃ、まだ、いたのか。

南太郎:まだ、いたのか、はご挨拶ですねぇ。新聞が目に入ったんで、ちょいと見てたんですよ、ハイ。

北海老人:何か、面白い記事でもあったかな。

南太郎:いえ、面白い記事ってより、コレ、朝日新聞でしょ。朝日新聞といやぁ、最近じゃ「偏向報道だぁ」なんて批判されてるでしょ。で、偏向報道 ってのは、実際のところ、どういうものかって気になっちまって。

北海老人:偏向報道 か。それで、偏向報道とはどういうものか、分かったのかな。

南太郎:まあ、詳しくは分かりませんが、この朝日新聞記事と、ネット上で言われてることを合わせて考えると、偏向報道 ってのは、要するに 政府批判 って気がしますね。つまり、政府に対して厳しいことばっかり書いてるから 偏向 なんですよ。偏向 って、偏ってる って意味ですけどね。

北海老人:偏向 の意味くらい分かっておる。それより、政府批判 がどうして 偏向 なんじゃ。そこのところを説明して欲しいな。

南太郎:政府批判が 偏向 の意味ですか。簡単ですよ、そんなこと。いいですか、ご隠居。言うまでもありませんが、政府はいろんな仕事をするわけですよ。当然、政府の仕事ぶりや仕事の結果に対して、賛成の人もあれば、反対の人もあるわけです。ですから、政府の仕事として、良いところは褒め、悪いところは批判する、これが公平な報道ってやつです。だから、批判ばっかりとか、批判のほうが多いってのは偏った報道、すなわち 偏向報道 ってわけです。

北海老人:なるほど。お主の言う 偏向報道 というのは、政府の批判をする報道 の意味じゃな。だが、それはまったく表面しか見ておらず、思慮も浅い単純なものじゃ。お主のオツムは相当低レベルじゃ。笑うしかないぞ、ハ、ハ、ハッ。

南太郎:ヒ、ヒデェなぁ。オイラのどこが低レベルなんですかぁ。怒りますよ。

北海老人:それでは、よ~く分かるように説明してやろう。日本は民主主義国家じゃから、言い換えれば、国民主権国家ということになる。つまり、国民がこの国の主権者、すなわちご主人様ということじゃ。そして、憲法上もすべての公務員は 全国民の奉仕者 と規定されておる。

南太郎:それくらい知ってますよ。

北海老人:ならば、この国を一つの家と考えてみよう。国民がご主人様で、公務員は奉仕者、すなわち お手伝いさん ということになるな。ご主人様としては、お手伝いさんがちゃんと仕事をしているかどうかやら、お手伝いさんが管理している家全体の生活費をこっそりネコババしてないか、などいろいろチェックを入れておかなきゃならん。

南太郎:もちろんですね。一人や二人のお手伝いさんじゃなくて、お手伝いさんすなわち公務員って一杯いますからねぇ。中にはとんでもないことする奴もいるかもしれないし。オイラはそれに加えて、TV ドラマの家政婦みたいに、ご主人のプライバシーをのぞくってのもイヤですねぇ。スマホなんかのぞかれた日にやぁ、オイラん家は家庭争議勃発ですよぉ。

北海老人:家政婦さんにプライバシーをのぞかれて困るのは、お主の個人的事情だろうが、ご主人様としてはお手伝いさんたちがしっかりマジメに仕事をしてくれているかどうかを見張っておく必要がある。そのことはお主もOKじゃな。

南太郎:OKどころじゃないですよ。現に公務員による不祥事は、もはや年中行事じゃないですか。最近じゃ、文科省内の自分の机だかに違法薬物持ってたバカ公務員もいたでしょ。あ、それから件のモリカケ疑惑じゃ、財務省のキャリア官僚たちが勝手に国有財産を大幅値引きして叩き売ろうとしてたことも明るみに出たでしょ。しかも、その取引書類は改ざん、偽造何でもありだったじゃないですか。きっちり監視しとかなくちゃ、クソまじめな顔した公務員たちがウラで何をしてるか、分かったもんじゃないですよ。

北海老人:まったくその通りじゃ。しかし、一つ大きな問題がある。それは " 誰が公務員たちの仕事を監視するか " ということだ。我々、一般国民は毎日の仕事で忙しいから公務員の監視などできるはずもない。かと言って、仕方ないからボランティアで仲間と交代しながら監視するのも、仕事と監視の双方が中途半端に終わるじゃろうし、な。

南太郎:ご隠居ぉ、ナニ言ってるんですかぁ! 監視するのは新聞記者の役割ですよ。当たり前の話です。記者なら記事を書くために、ネタ探しとして公務員の監視ができますし、そのために給料を新聞社からもらってますからね。もちろん、新聞社だけでなく、TV 局の記者でもいいですよ、同じことですから。

北海老人:よく気がついたな。そうじゃ、監視するのは新聞社や TV 局の記者の仕事じゃな。ここまでを整理すると、国民主権国家では、国民が主役で、公務員たちはその奉仕者、すなわちお手伝いさんたちじゃ。そして、お手伝いさん、すなわち公務員がきちんと仕事をしているか、悪さをしていないかを監視するのは我々国民の役割じゃが、それを実際に行うのは難しい。そこで、新聞や TV の記者諸君に公務員たちの仕事ぶりを監視してもらう。こういうわけじゃな。

南太郎:おっしゃる通りです。

北海老人:それでは、話をもう一つ進めて考えてみよう。記者たちは公務員たちを監視する際、どういう視点で監視すべきか、そして、記事を書く場合、どういう視点で書くべきか、ということじゃ。

南太郎:そりゃ、記者の背後には、公務員たちを監視した結果報告を待っているご主人様、すなわち私たち国民がいるんですから、まず事実をありのままに監視して、ありのままに記事を書いてもらわなくちゃダメですよ。

北海老人:原則はお主の言う通りじゃが、少し甘いな。なぜなら、記者も含めて人間はボーッと物事を見ていたんじゃ、たとえ目には見えていても、その物事のウラやら背景は見えてこないからな。記者たちがどういう視点の方向性で監視に当たるかが大事じゃ。

南太郎:そりゃ当然ですよ。ただの見物じゃなくて、あくまでも監視ですから、視点の方向性は「悪いことしてないだろうな」っていう疑いの目でみることこそ大事ですよ。そうでなきゃ、刃物振り回して人に切りつけるみたいな一目瞭然のことは別にして、会議に次ぐ会議、書類に次ぐ書類で話が進んでいくお役所仕事の監視なんてできませんよ。

北海老人:お主、今、大正解を言ったぞ。" 公務員を監視する視点は「悪いことしてないだろうな」という疑いの目で見る " 、それが大正解じゃ。

南太郎:え、え? あっ、そうかぁ!「悪いことしてないだろうな」という疑いの目で見る、ってのはモロに " 批判的視点 " で見るってことですね! なるほどぉ。

北海老人:気がついたな。最初にお主は「政府の批判をする報道は偏向報道だ」と言っておった。それが今ではどうだ。「公務員を監視するためには批判的視点で見る」と納得したわけじゃ。

南太郎:う~ん、そうですね。公務員やお役所を監視する際には批判的視点で見る ってのは確かに原則ですねぇ。でも、公務員たちも悪いことばっかしてるんじゃなくて、いいこともしてるんだから、悪いときはガツンと批判して、良いときはグッジョブって褒めるのがいいんじゃないかな。

北海老人:そこが甘い。よいか、そもそも、我々国民は公務員に対し「きちんと仕事をしてね」と思って税金を支払っておる。そのせいか、公務員給与は民間の平均給与を大幅に超えておる。従って、公務員がきちんと仕事をすることは褒めるべきことではなく、ごくごく当たり前のことじゃ。そこを敢えて 褒める と言うのであれば、" 公務員がきちんと仕事をするたびに何らかの褒賞金を支払うべき " となってしまうじゃろうな。それはどう考えてもおかしいじゃろ。

南太郎:なるほどぉ。おっしゃる通りですね。そもそも公務員がきちんと仕事して、絶対に悪さをしないと分かっているのなら、監視する必要もないし、私たち国民が新聞代を払って記事を読んだり、NHK に受信料を払ってニュースを見る必要もないんですからね。私たちも新聞社や NHK に監視料金を支払っていることになりますからねぇ。

北海老人:最近、安倍晋三政権を批判する報道に対し、一部の激バカ者どもが「偏向報道だぁ」などとワメいておるが、そうした偏向報道発言をする者たちこそが " 国民主権に基づく国家では、我々一般国民に代わって、政府及び公務員らの働きを批判的視点で監視することこそ報道記者の役割 " ということを理解していないのじゃ。以前にも話したが、「自己責任」発言は政府の責任放棄を認める発言じゃったし、「対案を出せ」発言は予算の優先順位も考えない傲岸不遜な激バカ発言じゃった。そして今回検討した「偏向報道」発言は国民の利益のために政府を監視するというジャーナリストの存在意義を無視する発言だ。これら3つのワンフレーズ発言に共通するのは " どれも理屈もなく、ただ無理やりに、時の政権を擁護する " という点じゃ。これらは時の政権、すなわち現政権を擁護する発言じゃから、こうした発言をする者やそれに賛同する者らは " 政権すなわち公務員は我々国民のお手伝いさん " という国民主権原理=民主主義がまったく理解できていない激バカども、ということだ。

南太郎:いや~、お恥ずかしい。オイラも「政府批判は偏向報道だ」なんて思ってた一人でした。よく考えれば、日本は民主主義国家で、オイラたち国民が主権者なんだから、報道の原則は「お手伝いさん=公務員がきちんと仕事をしているか」という批判的視点でなくちゃダメ、ってことがよく分かりました。それに、ただでさえ民間よりも高い給料をもらっている公務員を褒めたんじゃ、もっと公務員給料を上げろになっちまいますからね。それもおかしい。よって、原則として、公務員を褒める報道なんて要らない、ってことも分かりました、ハイ。それにしても、ネット上や右翼本なんかで見かける「自己責任」「対案を出せ!」「政府批判は偏向報道だ」の3発言は、どれもこれもロクでもない激バカ誘導ワーズですね。(2019/05/30 記述)

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