昨日から始まった連載の第2回です。第1回の小生の考察で、20世紀前半の政治学と社会学の巨人 マックス・ヴェーバー の見解を借りて " 支配には 1)伝統的支配、2)カリスマ的支配、3)合法的支配、の3類型がある " ことに加え、小生自身の見解として 合理的支配 の観点を加えることを提示しました。

 これらを踏まえて、連載2回目をご一読ください(以下に転載済み)。

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朝日新聞 DIGITAL (2019年3月28日付)
【 (ゴーンショック 繰り返す統治不全:中)
生え抜きトップ、薄い危機感 】

 日産自動車の社長・会長として経営トップを15年務めた石原俊(たかし)は労使関係の正常化に力を注いだ。会長時代の1986年、労働組合のボスだった塩路(しおじ)一郎をようやく追放し、長年の労組支配を脱した。だが、その後の日産の経営は暗転していく。

 生え抜きの石原は77年に社長に就くと、海外進出を積極的に推し進めた。国内販売でトヨタ自動車の後塵(こうじん)を拝する状況を打開しようと、海外に活路を求めたのだ。スペインの自動車メーカー、モトール・イベリカに資本参加し、伊アルファロメオや独フォルクスワーゲン(VW)とも相次いで提携。米国や英国には自社工場を建設した。

「(石原は)ダボハゼのように海外案件に飛びついた。このころから拡大一辺倒になった」(財務部門出身の元副社長)。だが、スペインのメーカーは赤字続きで、アルファロメオとの合弁はのちに解消。旧座間工場(神奈川県座間市)で始めたVWの乗用車「サンタナ」のライセンス生産も成功しなかった。

 ■遅れたリストラ

 石原から久米豊にバトンが渡された後、時代はバブル期に突入した。「シーマ」や「シルビア」がヒットし、日産は黄金時代を迎える。九州工場(福岡県 苅田〈かんだ〉町)を増強し、大分への工場進出も計画した。メインバンクの日本興業銀行から役員が代々送り込まれ、投資資金は銀行が貸してくれた。財務の規律は緩んだ。久米と後任の辻義文の時代に過大な設備投資を続けた結果、バブル崩壊後に販売が悪化すると、累増した負債が残った。

「バブル後も設備投資の抑制が遅れた。量を追い求め、質を求めない経営だった」と元副社長。用地取得も一部済ませた大分での工場建設計画は頓挫し、日の目をみなかった。

 生え抜きの歴代トップは、社員に痛みを強いるリストラには躊躇(ちゅうちょ)した。辻の時代に座間工場の閉鎖に踏み切ったが、「遅きに失した」(元副社長)。一方で、財界活動には熱心だった。石原は経済同友会代表幹事、久米と辻は経団連副会長に就き、華やかな活動にいそしんだ。

 組織は縦割りで、たこつぼだった。「販売が売らないから」「いや、良い車を開発できない方がおかしい」。「わが事と考えない他責の文化」(元財務担当役員)が社内を支配し、多くの社員は「日産がつぶれるはずがない」と考えていた。

 ■シェア目標裏目

 経営危機が次第に忍び寄る中、96年に塙義一(はなわよしかず)が社長に就いた。長身で温和。早くから「日産のプリンス」と将来を嘱望されていた。

 真っ先に掲げたのが国内販売のシェア奪還。30%を超えていた国内シェアは低落し、塙の就任時は22%になっていた。ホンダに抜かれて3位に転落しかねないとの危機感から、「トヨタ1強でいいのか」と、2010年までにシェア30%の回復を目標にした。日産は当時、4期連続の赤字。資金繰りは厳しく、売れそうな新車もない。「本気ですか」。販売担当役員がいさめても、塙は方針を変えない。秘策があるわけもなく、打ち手は販売店への奨励金の拡大など実質的な値引きに限られた。「カネがないのに、カネを使う方策だった。シェアを落としてでも身を固めるべきだった」。当時の財務担当役員はそう回想する。日産はこの後、さらに窮地に陥っていく。

 思い余った財務担当役員は97年ごろ、塙が臨席した社内の会議で「このままでは破綻(はたん)の危険性がある」と書いた資料を配って、警鐘を鳴らした。山一証券が破綻し、金融危機が列島を襲っていた。格付け会社から格付けを引き下げられ、資金調達が困難になる見通しを解説した。出席者の一人が驚いて「日産は大丈夫ですか」と尋ねると、塙は「経理はいつも針小棒大なんだよ」と経営不安を打ち消した。危機意識は共有されなかった。

 ■米国悪化で窮地

 負債は2兆5千億円に達した。銀行は貸し渋り、海外での資金調達が特に難しくなった。北米の販売台数を増やそうとリース販売を進めた結果、米国事業の採算が悪化して97年度は赤字に転落。海外の自動車大手と資本提携し、巨額資金を融通してもらうほかに生き残る道はなかった。ダイムラークライスラーとの交渉が決裂し、仏ルノーに望みを託して手を結んだ。

 99年3月、ルノーとの資本提携を発表した記者会見で、ルノー会長のルイ・シュバイツァーは「カルロス・ゴーンにコスト低減を任せたい」と述べ、塙は「彼には私と副社長の間に位置してもらう」と応じた。

 シュバイツァーは当時、ゴーンの任期は4年程度で、社長にすることは考えていない、と朝日新聞のインタビューに述べていた。だが、塙は翌年、あっさり社長職をゴーンに譲った。

 人事部門を歩んだ塙も若いころ、塩路を批判して労使の正常化にかかわった。その塙が、ゴーンという新たなカリスマを招く皮肉な役回りを演じた。=敬称略
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 今回も少しだけ感想を加えます。現代においては、ヴェーバーが提示した支配の3類型の中で《 合法的支配こそが実現されるべき支配である 》ことは言うまでもありません。小生がそこに 合理的支配 の観点を加えるべきと主張するのは、合法的という観点だけでは正しい支配が出現しない可能性があるから です。

 と言うのも、歴史を振り返れば、《 民主主義国家が成立する過程は、絶対主義王政体制が革命によって倒され、革命の主役たちである人民による民主主義体制への移行がなされた 》ことが分かります。特に、1789年に始まったフランス革命にそれは顕著です。

 ここで、合法的支配 に支配の正統性の根拠を置くと、革命勢力はそれまでの絶対王政下の法的体制を暴力で破壊したのですから、革命によって誕生した政権 --- 人民による民主的政権の正当性が疑われる事態が出てきてしまうからです。絶対王政を倒した人民による民主的体制に疑義が生じることはおかしな話です。

 国王が行使する徴税権ですが --- 国王がその権限を勝手に行使することは、人民から見れば、国王が勝手に自分たちのお金=財産を奪われることを意味します。徴税された税金が国家の維持運営に使われるのならば、人民は「それなら税金の使い道について自分たちの意見も聞け」となるのは当然ですし、合理的です。

 当時のフランスにおいては、絶対王政のための法体系 --- 国王が制定する王令、慣習法、判例法などが法体系として存在していました。つまり、当時のフランスは伝統的支配と合法的支配とが合体した状況だったのです。ですから、合法的支配のみを正当な支配とすると、人民による革命は不法行為になってしまいます。

 実際、フランス革命において、国王を支持する反革命勢力は、外国勢力の支援を受けて、人民の革命に反対する反革命戦争を仕掛けてきました。つまり《 法体系とは現下の統治者側がつくっている体制維持システムである 》という宿命を背負っていますから、単純に 合法的支配 を評価維持するわけにはいかないのです。

 また、一般民衆レベルで考えても《 多くの民衆は自分たちが服している法体系がいかなるものか、を恐らく理解していない 》と考えられるからです。本連載のまな板に上がっている ゴーン事件 も刑事事件としての本丸は商法など商事関連法の違反事件ですから。

 ザックリ言えば、当時の日産自動車の役員の多くが商法など商事関連法の知識がなかったことから、ゴーン氏らの違法性の高い行為 --- 特別背任罪などに該当する行為を止められなかったゆえに発生したのが ゴーン事件 ですから。もし、法的知見があるのなら、取締役らはその時点で告発すべきですからね。

 つまり、一般民衆は --- たとえ大企業の幹部と言えど --- 法体系に通じているとは言えないのですから、合法的支配に支配の正当性を認めても、実効性を持たないと考えられます。ですから、「あれ、コレ、ちょっとおかしいんじゃない」という、合理的支配 の観点を入れるべきと考えます。

 合理的支配とは、誰もが分かる 1)ウソをつかない、2)ズルをしない、3)エコヒイキをしない、という観点を支配者側と被支配者側が共有する統治体制です。しかし、ゴーン事件で思うことは、2006年の商法大改正で日産自動車のような大企業には監査役会の設置と会計監査人(法人含む)の設置が義務づけられていたのですが......。

補足:本文中、合理的支配の観点が必要との趣旨を述べましたが、その意味として挙げた3点は 合理的 と言うよりも 倫理的 と言うべき観点であると思います。一方、フランス革命の例で述べた 国民こそが納税者であるゆえ、国民は主権者足るべき という考えは 合理的 の視点に由来します。こうしたことから、合理的支配 の言葉を 合理&倫理的支配 と改めます。
(2019.03/28 記述)
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