皆さん、十分ご存知でしょうが、" 沖縄県名護市辺野古 で 米軍新基地建設のための埋め立て の是非 " を問う沖縄県民投票(以下、沖縄住民投票)の結果が出ました。数字的には以下の通り。

  投票日:2019年2月24日
    有権者数:115万3591 人
    投票率:52.48 %
    賛成:11万4933 票 (得票率:19.1%)
    反対:43万4273 票 (得票率:72.2%)
    どちらでもない:5万2682 票 (得票率:8.8%)

 個人的には " 投票率が66%を超えて欲しかった " のですが、まあ、現実を受け入れるしかありません。 

 反対票が賛成票の4倍に達する圧倒的大差のついた県民投票の結果ですが、モヤモヤ感が残ります。そのモヤモヤ感の原因は、このニュースが TV や新聞で報じられる際、最後に必ず「投票の結果に法的拘束力はありません」とつけ加えられること、によります。

 この物言いの背後に「住民投票で結果が出ても、あくまでもそこまでの話。何も変わらんよ」と諦めムードを強いるような上から目線を感じるからです。実際、安倍晋三総理は「投票の結果を真摯に受け止める」と言いながら、埋め立て工事は続行ですから、まるで住民投票などなかったかのようです。

 こうなると、民主主義国家=国民主権でありながら、明らかに国民不在の政治体制、否、どこかの独裁体制国家のようです。そう思っていたら、今朝の朝日新聞の名物コラム 天声人語 も同じようなことを感じていたようです。その天声人語をシェアしましたので、まずはご一読ください(以下に転載済み)。

<< シェア始め ▼
朝日新聞 DIGITAL (2019年2月26日付)
【 (天声人語) 「無視する」の類語 】

▼「無視する」という言葉には類語が多い。「耳を貸さない」「受け流す」「聞き流す」「知らん顔する」「どこ吹く風」などなど。人を無視することのひどさをごまかすため、色んな言葉が編み出されてきたか
▼最近は「スルーする」との言い方もある。もしかしたら、こちらもいずれ類語に仲間入りするかもしれない。「真摯(しんし)に受け止める」。おとといの沖縄の県民投票の結果を受けて、安倍晋三首相や閣僚らが口にし始めた
▼昨秋の知事選に続いて示された明白な民意である。投票率は5割を上回り、名護市辺野古の埋め立てに7割超が反対した。政府は沖縄に「理解を求める」とずっと言ってきたが、地元同意は得られなかった
▼辺野古に基地を造らない限り普天間飛行場に軍用機が飛び続ける。そんな縛りを見直す以外にないだろう。まずは危険な飛行場を止める方向で米国と再協議すべきだと思うが、政府にその気はないらしい。辺野古への土砂投入はきのうも続いた
▼最近印象的だったのが、ロシアのプーチン大統領の発言だ。米軍基地をどこに置くかについて日本に主権があるのか疑問だとして、沖縄を例に出した。「知事が基地拡大に反対しているが、何もできない。みなが反対しているのに計画が進んでいる」
▼北方領土を返還した場合、米国だけの判断で基地ができるかもしれない、と言いたいらしい。他国の主権に対し、ずいぶん失礼ではないか。しかし日本政府がこの発言に抗議したという話は聞こえてこない。
 ▲ シェア終り >>

 1973年、シンガーソングライターの 井上陽水 氏が《 夢の中へ 》という楽曲をリリースしました。覚えやすいリズムと陽水氏独特の言語感覚 --- 後年から今に至る意味不明気味の言葉の組み合わせはありませんが --- による歌詞とが相まって大ヒットし、現在まで他の多くの歌手がカバーする定番ソングです。

《 夢の中へ 》は " 探しものは何ですか? " で始まります。そして中ほどに " はいつくばって はいつくばって 一体何を探しているのか " と続き、" 探すのを止めたとき 見つかることもよくある話 " ときて、終盤に " まだまだ探す気ですか? 夢の中へ 夢の中へ 行ってみたいと思いませんか " で終わります。

 聴いたことのない人は、ゼヒ、一度聴いてみてください。歌詞もいいし、リズムもいい、本当にいい曲です。で、ふと思ったのが、私たち現在の日本人が探すべきは " 主権じゃないか !? " ってこと。フツーに暮らしていて 主権 なんて言葉、あまり意識しませんが、イザとなれば、意識せざるを得ません。

 そもそもですが、主権 という言葉が分かりづらいのは、この言葉がいくつかの意味を持っているからです。一般には3つの意味が考えられています。

① 主権とは国民主権の主権のこと --- これは " 国政上の意思決定を最終的に決める権限は国民にある " という意味
② 主権とは統治権のこと --- これは " 国家内において正当な政府が国内を支配する権限を持つ " という意味
③ 主権とは対外的独立権のこと --- これは " 独立国家は外国に対して対等の立場である " という意味

 すると、今回の沖縄住民投票の結果を、日本政府=安倍晋三政権が、事実上、無視して埋め立てを続行するということは、沖縄県民の主権(①の意味の主権)を政府が自らの主権(②の意味の主権)によって踏みにじっているってことです。注意しておきますが、沖縄県内のことは沖縄県民が主権者ですからね。

 繰り返しますが、" 日本政府=安倍政権は ②の主権 を根拠に沖縄県民の ①の主権 を無視している " ということ。さらに " マスメディアも「投票の結果に法的拘束力はありません」とつけ加えることで、安倍政権の振る舞いを追認している "ということです。本当にこんなことでいいのでしょうか。

 先ほど、主権の3分類を示しましたが、この3つの主権に重要度によって順位をつけるとしたら、1番重要な主権は ①の主権:国民主権 です。日本は民主主義国家ですから当然です。次の主権が ②の主権:統治権 です。なぜか。国家を構成する3要素は、国民、領土、統治権 ですから。

 つまり、国家を構成する最重要な要素が国民であり、次にその国民が住むために領土は必ず必要です。そして、国民と領土が現実に存在して初めて、それらを統合し支配する統治権の出番となりますから。もっと言えば、国民と領土は物質存在でもあり、統治権はあくまで精神的存在だから、です。

 このように突き詰めて考えてくると、日本政府=安倍政権は今回の沖縄住民投票の結果をもっともっと深刻に受け止めるべきです。こう言うと必ず「いやいや、防衛問題は国政の最重要課題だから、沖縄県民だけの意見を聞くわけにはいかない」などと言う人が出てきます。こういう人たちはタダのバカ。なぜか。

 現在の沖縄県の状況を見れば、他の都道府県とは段違いに米軍基地負担が重い。単に面積だけでなく、過去には小学校校舎に米軍機が墜落する事故 --- 宮森小学校米軍機墜落事故(1956)、死者18名、負傷者210名 --- すら起きており、この他にも婦女子への暴行事件など枚挙にいとまがないのですから。

 そもそも、日本進駐当初、アメリカ海兵隊は本土駐留だったものの、余りに婦女子暴行などの事件が相次いだため、沖縄移転となった経緯があります。要するに、沖縄県への海兵隊移転自体が、たまりかねた本土住民の反発を受けて、沖縄移転となったのです。この経緯を知らずに抑止力云々など笑止千万。

 本土で迷惑がられて沖縄に移転された海兵隊ですから、沖縄県の住民の意見を最優先に聞くべきであることは言うまでもありません。それを「防衛問題は国政の最重要課題云々」などと言うのは、無責任極まりないタダ乗り意見に過ぎません。こういう意見を主張する輩はバカなだけでなく、卑劣漢そのものです。

 その上で先ほどの議論に戻って、①の主権 と ②の主権 の優劣を考えると、日本は民主主義国家ですから、明らかに ①の主権 > ②の主権 です。なぜか。もし ①の主権 < ②の主権 となるなら、統治権を行使する主体=政府が主権者としての国民よりも上位にくるのですから、これは 独裁国家 そのものですからね。

" 沖縄県名護市辺野古で米軍新基地建設のための埋め立ての是非 " 問題で一番優先されるべきは沖縄県民の意見です。このように中央政府と地方の対立が生じた場合、日本国憲法第95条がその解決法を明示しています。該当条文を挙げておきますので、ぜひ参照してください。

第95条 特別法の住民投票
 一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、そ の地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない。

 この条文に対し「辺野古埋め立て問題は、特別法の問題じゃない」との反論があるでしょう。しかし、現実には国家予算を用いて中央政府が行う埋め立て工事です。そして、国家予算は国会で、事実上、法律の形式で定められます。ですから、辺野古埋め立て工事予算も特別法類似と考えることができると解します。

 しかも、米軍基地が過度に集中する沖縄県がその負担を強いられる工事であり、問題です。ならば、憲法第95条の趣旨に従って解決を図るべきです。奇しくも 憲法 第95条 は 住民投票 を要求しています。その結果、過半数を同意がなければ特別法制定の拒否を定めています。

 いいですか、皆さん。一番優先されるべき 主権① は私たち国民サイドにあり、同様に沖縄県が負担することになる辺野古埋め立て問題に関して、主権① は沖縄県民にあることは明白です。間違っても政府が行使する 主権② が 主権① を超えるなどと理解しちゃダメですよ。そうなれば、独裁国家ですからね。

 当然、「投票の結果に法的拘束力はありません」などのマスメディアの論評はお粗末と言うべき。主権 についてしっかりと考えれば、「法的拘束力がない」のではなく、憲法は住民投票こそを求めているのですから。いいですか、皆さん。主権 は夢の中ではなく、私たち国民及び県民の手の中にあるのですよ。(2019/02/26 記述)
イメージ 1