" 森友学園国有地不当払い下げ疑惑 " で明るみに出た安倍晋三総理の " 居直り&詭弁国会答弁 "、" 財務省などの書類隠し(=罪証隠滅) "、安倍総理夫人 昭恵氏の " FBへのウソ投稿 "、" 逃げ隠れ "、" お付への責任転嫁 "、加えて自民党及びシンパの不正擁護&取り繕い発言などなど、安倍政権はもう完全に狂ってますね。

 これまで何回も指摘していますが、この疑惑は " 安倍総理とその周辺が、自らと志を同じくすると考えていた籠池泰典氏の学校ビジネスに破格の便宜(=不正行為)を図ったものの、不正が明るみに出てきたため、安倍総理とその周辺が手のひらを返し、籠池氏一人の不正行為として責任を転嫁して逃げ切ろうとしている事件 " です。

 実に恥ずかしく、醜い事件です。で、コレって安倍総理ら " 戦前回帰派 " が再評価する教育勅語の徳目 << 朋友相信し恭倹己れを持し(=友達とは互いに信じあい、恭しく慎みを持ち) >> に思いっきり反している態度なんですけどね。安倍総理らの態度は " 友を裏切って責任を覆いかぶせ、自らは国会で居直り&詭弁発言を続けている " のですから。

 話が上手くいってるときは、やれ同志やら仲間やらと持ち上げチヤホヤするけれど、いったん話がマズイ方向に向き始めると、途端に手のひらを返してウソと詭弁を繰り返し、最終的にはお仲間に責任なすりつけ、ですから呆れます。まるでストーリー見え見えの三文芝居です。安倍総理とその夫人、そしてお仲間は " 恥じる " という言葉を知らないのでしょう。

 もう驚くやら呆れるやら、見ているこちらが恥ずかしくなります。彼らにこそ教育勅語は必要ですね、ホント。で、安倍総理とそのシンパ、もちろん籠池氏も右翼団体 " 日本会議 " のメンバーです。日本会議は " 美しい日本の再建と誇りある国づくり " を掲げていますが、" 日本の再建 " ですから、要するに " 戦前回帰 " ってことですね。

 なぜなら、日本の歴史上、日本が外国の力によって大きく体制を変えられたのは " 太平洋戦争の敗戦 " しかないですから。従って、日本会議は " 敗戦前の日本に戻す=日本の再建 " と考えていることは明らかです。そして、戦前の日本は " 明治維新(1867年)という大規模な体制変革によって生まれた国家主義体制 " でした。

 しかも、" 維新 " を主導したのは " 薩長閥 " でしたから " 戦前の日本は薩長閥が支配する国家主義体制 " と言うことができます。もっと言えば、明治維新からほどなく薩摩勢力は西南戦争(1877年)によって大きく力を失いましたので、明治維新政府は長州閥が主導する体制でした。そう言えば、三代世襲の安倍総理もバリバリの長州閥末裔ですね。

 つまり、安倍総理も籠池氏もメンバーの右翼団体 日本会議が目指すのは、戦前の日本すなわち " 長州閥主導の国家主義体制 " ということ。長州などと縁もユカリもない者からすれば、まったく論外です。この戦前体制は経済的に失敗し、外交でも失敗し、最終的には対米戦争に打って出て、日本史上初めて " 外国による占領 " へと導いた大失敗体制だったのですから。

 敗戦後70年を過ぎてなお、未曾有の大失敗をやらかした戦前の体制への回帰を目指す日本会議、もう " 頭がおかしい " と言うほかありません。で、考えると長州閥の頭がおかしくなる理由があります。それが " 国家神道 " です。本ブログでは過去何回も指摘してきましたが、国家神道は江戸時代中期、従来の神道と儒教を合体させた国学思想に基づいています。

 具体的には " 最終的にあの世の研究にまで突き進んだ国学思想の大家 平田篤胤 " といい、" 万世一系の天皇家及び現人神&八紘一宇構想をひねり出した国学者 会沢正志斎 " といい、幕府による鎖国政策の下での狭い世界観の中で、古典解釈と独善的な儒教解釈を強引に結びつけ、最終的には " 日本独自の一種の中華思想 " を編み出してしまったのですから。

 こうした国学思想、今風に言うなら " カルト " です。カルトな国学思想から多大な影響を受けた人物が吉田松陰。松陰は特に水戸藩の会沢正志斎から大きな影響を受けました。実際、松陰が最初の脱藩をした理由は正志斎の教えを請うためだったのですから。外様藩出の若い松陰が、自ら進んで御三家水戸藩の学者から教えを受けたのですから、たちどころに " 洗脳 " されてしまったハズ。

 その後、松陰が松下村塾にて、後の長州閥となる人たちを育てたのは皆さんご存知の通り。で、彼らが維新後に倒幕の正当化と新政府の正当性担保のために担ぎ出したのが天皇であり、天皇の権威づけのためにでっち上げたのが " 国家神道 " という構図です。そして、国家神道のバックボーンが水戸藩の国学思想です。会沢正志斎の著書『新論』を読めば、これこそが国家神道のルーツであることが一目瞭然です。

 一言『新論』に触れておくと、同書は正式には1857年の作とされています。しかし、松陰の脱藩は1852年ですから、正志斎はこれ以前に『新論』草稿の類は完成させていたはず。1853年のペリー来航が象徴的事件ですが、幕末期、すでに一部には世界情勢も伝わり始め、約250年続いた太平の世がにわかに騒がしくなった時代です。特に、西洋の存在とその影響が深刻になっていたでしょう。

 そのような時代、正志斎は西洋の影響を跳ね返して日本の独立を守るため、わが国独自の『国体』思想を掲げます。国体とは " 国の体制 " という意味ですが、正志斎は " 天照大御神から連綿と続く天皇が統治する国家体制(=国体)を持つ日本こそが世界に例のない唯一無二の国(=神国) " と主張。そして " 万世一系(=天照大御神から続く血筋 ⇒ 天皇家)の天皇(=現人神)が統治する日本が世界を治めるべし(=八紘一宇) " と説きました。

 コレってそのまま " 国家神道 " です。古来、日本には万物に神性 or 霊性を認めるアニミズム信仰があり、6世紀に漢字と共に仏教&儒教が輸入されて天皇から下々まで大きな影響を受け、8世紀に至ってようやく文書化(=古事記&日本書紀)された神道とが渾然一体となる独自の信仰がありました。しかも複数の信仰が並び立っていたのです。否、素朴な民間信仰(=アニミズム)に加え、教典を持つ仏教、儒教、神道が融合したのです。

 ここ三十年ほど前から、ヨーロッパにおいて " 中世=暗黒時代 " というステレオタイプの歴史観が見直されてきています。中世にも豊かな精神活動があったと分かってきたのです。恐らく、日本においても中世の精神生活は十羽一絡げに否定されるものではなく、" 民間信仰+仏教+儒教+神道の融合 " は豊かだったと見直されるべきです。それこそが " 日本古来の思想 " となるはずです。

 にもかかわらず、薩長閥、後に長州閥はこれらに重きをおかず、自らが学んだ国学、たかだか数十年の歴史しかない後期国学をベースに国家神道を捏造して " 国教化 " してしまったのです。国家神道は純粋な信仰ではなく、まさに " 統治=政治のために強要された信仰 " だったのです。これはもうカルトと呼ぶしかありません。日本会議なる右翼団体が掲げる " 美しい日本の再生 " などたかだか70数年しか歴史のないものです。

 しかも、結果は太平洋戦争の敗戦という大失敗だったことを忘れてはなりません。
 もう一つ大事なことがあります。それは国家神道にある " 万世一系の天皇家が統治する " という考えです。百歩譲って実際の歴史を無視し、この万世一系云々を認めると、トンでもなくなるからです。以下、具体的に説明します。

 話の前提として " 革命 " という言葉が重要になります。革命とは、広い意味で言えば、" 統治権者(=主権者)の交代 " です。狭い意味で言えば、" 武力によって統治権者を交代させること " です。すると、万世一系云々の路線で行くとなると『わが国には永遠に革命は起きない』ということになります。なぜなら " 万世一系の天皇こそが唯一無二の統治権者ですし、天皇家は永遠に続くのですし、そのために臣民は命を賭して天皇及び天皇家に尽くすのですから、革命など起きるはずもない " となりますから。

 もし、革命を起こそうと考える者がいれば、それは " 不忠の極み " となってしまいます。そして、国家神道及びそのルーツとなった正志斎の『新論』では " 革命などが起こらず、過去からずっと途絶えることなく天皇家が続き、天皇が統治してきたからこそ日本は世界でも唯一の国 " となるのですから。しかも " 天皇の血筋は天照大御神から延々と続いている ⇒ 今、人間として生きている天皇が直接神の血を受け継いでいる=現人神=すなわち神でもあり、人でもある天皇ということ " になりますから。

 整理します。国家神道では『天皇は天照大御神からずっと血がつながっている(=万世一系)。よって、天皇は神であり、人である。すなわち現人神(あらひとがみ)。現人神である天皇及び天皇家が神代より現在に至るまで日本を統治してきた。すなわち日本は神が統治する世界で唯一の国、いわば神国である。よって、神国日本が世界の国々を統治すれば世界は平和に治まる(=八紘一宇)』となるのです。

 長州閥は、こんなことを本気で国民に信じさせていたのですから、罪が重い。これでは大日本帝国が富国強兵策を取り、周辺の国々を侵略しても、何ら罪悪感は抱かないでしょう。それどころか " 天皇の統治を及ぼしてやったのだから、侵略された国々はむしろ感謝すべき " となります。これはもう思い上がりを通り越して、" 狂気の域 " です。カルト信仰=国家神道の面目躍如です。狂気の戦争に駆り出された国民はもちろん、一番の被害者は侵略された国々です。

 そして国家神道を信仰し続ける限り、現在だけでなく将来にわたっても、この状態が永遠に続くのです。歴史認識においても、客観的な西暦ではなく、明治以来の一世一元制により " 元号 " を使いますから、元号=天皇の治世であり、 " ただ天皇が代変わりした " という認識しか生まれません。世紀が改まることもないので、歴史認識において客観性がまったく育ちません。極論すれば " 何百年経っても、天皇が統治する日本のまま " です。ただ、天皇の諡号(しごう)が変わっただけとなります。

" 革命もなく、ただ人としての天皇は代替わりするものの、現人神としての天皇が常に統治する " という国家神道の世界。もう " 究極の金太郎飴の世界 " です。しかも天皇の背後では、君側の奸らが勝手気ままに振舞い続ける世界です。ここに気がつけば、あの2・26事件の青年将校らのように " 天皇の心変わりを信じて or 天皇の心中を慮って " 大規模なテロを起こすことさえ " 維新 " の名の下に可能になってしまいます。失敗しても、罪悪感を覚えることすらないでしょう。

 日本会議だけでなく、いわゆる極右と呼ばれる人たちは、ことあるごとに戦前回帰を叫びますが、実は戦前=国家神道体制はかくも平凡のようでありながら、侵略戦争正当化だけでなく、政権転覆を狙うテロさえも正当化してしまう体制なのです。戦後70年を経て、単なる " 昔はよかった " 式の安易かつ短絡的な思考で戦前回帰を目指すことほど危険なことはありません。安倍政権がこの危険性に気がついているとは到底思えません。日本国憲法の改憲はかくも危険なのです。冗談じゃ済みません。(2017/04/05 記述)
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