「暗渠パラダイス」です。
書いたのはお馴染み高山さんと吉村さんのコンビです。
過去にも何冊か紹介したことがあります。
まあ、暗渠と聞いて興味を示す方が多いとは思われません。
でも、確実に好きな方々がいらっしゃるようです。
かくいう私もその一人ですが(笑)
したがって、このジャンルの本が時々発刊されます。
ただ、少々マンネリ化していました。
元々狭くて、文字通り陽の当たらないところですから無理もありません。
そこで、今回の本はちょっと趣向を変えたようです。
お二人の方もそのように書いていました。
つまり、暗渠とそれ以外の関係。
例えば、街道と暗渠、鉄道と暗渠、都市開発と暗渠……などです。
最後の方には猫と暗渠、馬と暗渠など涙ぐましい努力の跡も(笑)
特に、猫と暗渠は笑ってしまいました。
元々、暗渠には猫がいることが多いという都市伝説がありました。
誰が言い出したの?
そう突っ込みたいところですが、確かに暗渠には見かけることが多いような気がします。
ただ、この章では猫そのものではなく地名として取り上げていました。
どうやら、その視点は実を結ばなかったようですが。
そして、今回気づいたのは、高山さんと吉村さんでは迫り方が違うということです。
お二人もそれは認識していらっしゃるようです。
私はリアリストの吉村さんとロマンチストの高山さんと感じました。
個人的には高山さんの書いた『「ジョアン・ジルベルト」で味わう水窪川暗渠』が面白かったですね。
話はそれますが、
暗渠に対して開渠という言葉が使われることが多いようです。
単純に暗の対義語は明ですよね。
勿論、明渠という言葉もあるようです。
でも、やっぱり暗渠に対しては開渠がしっくりきます。
そして、開渠であるなら閉渠となるはずがそうならない。
いったい何故なんだろうか?
また私の悪い癖で、こんなところを考えてしまいます。
まず、なぜ閉渠ではなく暗渠なのか。
閉渠は閉ざされた川の流れで、
『開けてほしいよ~』と訴えている感じがします。
それに対して、暗渠の方は、潔いような感じがします。
つまり、暗渠は時の流れに逆らわず受け入れているのです。
また、開渠の方は逆に生きる力を感じます。
つまり、自らの意志をそこに感じられるのです。
少々それ過ぎました(笑)