5/6(月・振)温故知新 お久し振りの京都の旅 3日目~その1~ | ちいたろうのお出かけ日記

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 ゲストハウスの近くには牛めしの松屋があり、「あそこで朝定食もいいなぁ」と思っていましたが、旅の初日の夜、「お腹が空いたら食べよう」と思って買ったおいたカップ麺があります。東京まで持ち帰ってもよいのですが、かさばるものをわざわざ持ち帰る必要はないので、朝ごはんはこれで済ませてしまいましょう。お湯を沸かしに2階の共有スペースに行くと、女性が2人座っていました。そのうちの1人は若い外国人。さっき、上のmix dormitoryの廊下でも若い外国人の男女に会いましたが、やはり京都の宿は外国人も多いのでしょう。
 カップ麺のまわりのビニールをはがしてゴミ箱の蓋を開けると、中に鍵らしきものが見えました。それも自転車やスーツケースの鍵ではなく、このゲストハウスの宿泊者に渡される鍵です。
「誰か間違って捨てた方、いますか?」
声をかけると、日本人の女性が、「この奥の女性専用フロアのものではないか?」と言って、中の様子を見てきてくれました。部屋のアルファベットとベッドの番号が書かれているのですが、該当者はないようです。
 彼女が共有スペースで朝ごはんを食べていた若い外国人女性にも聞いてみると、鍵はどうやら彼女のものだったらしく、「どこに?!」といった感じで聞かれたので、ゴミ箱の中だったと答えます。わざわざ宿の鍵を捨てるはずはないでしょう。きっと、うっかり手から落ちてしまったに違いありません。
 時刻はすでに8時を回っていますが、今日は午後に枚方市駅近くのホールに行く予定しかないので、まだまだ時間はたっぷりあります。チェックアウトの11時までいても間に合うのですが、ずっとここにいるのももったいない。予報だと、今日の天気は下り坂のようですが、幸いにもまだ雨は降っていません。それなら、午前中にいくつか見どころをまわってみることにしましょう。
 京都には何度も来ています。一番古い記憶は、小学生の頃。4年生から5年生にかけての一時期、兵庫県西宮市に住んでいた私は、その頃からひとりで京都まで遊びに来ていました。
 そして、高校の修学旅行も京都でした。だから心のどこかで、「京都はもういいだろう」と思っていたのかもしれません。
 しかし、今回まだ行ったことのない場所を中心に歩いてみて、京都のことを何も見ていなかったことに気づかされました。温故知新とはまさにこのこと。ガイドブックに載っているところが、京都なのではありません。いや、ガイドブックに載っているところでさえ、一つひとつ隅々まで見て歩くことは難しいでしょう。京都は街全体が見どころと言っても過言ではありません。その面白さや美しさといったものは、その人それぞれの視点で発見していく。いわば、自分の京都を見つけることこそ京都の本当の楽しみ方だったのかもしれません。
 にもかかわらず、私は観光名所をいくつか回ったというだけで、京都がわかった気になっていたのです。
「旅人失格だよなぁ」
心を入れ替えて、京都の街をさらに楽しむことにします。
 枚方までは京阪電車で移動します。それまでに、どこかの駅の近くまで市バスで移動して、その近辺を歩いてみることにします。ゲストハウスの近くにある九条近鉄前のバス停に行くと、間もなく東福寺 清水寺・祇園行きのバスが来るという自動放送が聞こえてきました。これに乗れば、町の東側である東山へ行くことができそうです。
 東山の見どころといえば、なんといっても清水寺。しかし、このバスだとバス停からかなり歩くので、今回はパス。バス停からの近さを基準に選んで、八坂神社へ行くことにします。祇園のバス停で降りると、交差点のすぐ向こうが八坂神社なのです。
 京都という街は、国宝や重要文化財がいたるところにあります。交差点から見えるこの八坂神社の西楼門も、国の重要文化財です。1913年(大正2年)の市電開通にともなう四条通の拡幅に合わせ、通りの中央に見えるように移動させたというのですから、恐れ入ります。


 この建物は再建されたものだというので、新しい時代のものかと思えば、境内最古の建造物とあります。なにしろ、応仁の乱により消失したものを1497年(明応6年)に再建したとのこと。そんなに古い時代のものを現代を生きる私たちが共有できる。京都というところは、どれだけ懐が深いのでしょう。

 八坂神社では、京都に来て初めて手書きの御朱印を受けることができました。書き置きを否定するわけではありませんが、やはり自分の御朱印帳に墨で書いていただくと、よりありがたみを感じます。
 境内を歩いていると、巫女さん募集の大きな立て看板がありました。どうやら、祇園祭に向けての募集のようです。疫病を鎮めるために祇園祭が始まったのが約1,150年前とされています。それから脈々と続いてきた祇園祭ですが、昨今の人手不足はここにも影響しているのかもしれません。


 八坂神社を出て円山公園の方へ歩いていくと、何やらおしゃれな建物が見えました。
「あの洋館は何だろう」
そこは、ホテル長楽館。公式サイトによれば、1909年(明治42年)、“煙草王”と呼ばれた実業家 村井 吉兵衛により、国内外の賓客をもてなすための迎賓館として建築された建物とのこと。入り口の門扉を開けていた女性に「おはようございます」と声をかけられました。彼女はただの従業員にすぎないのかもしれませんが、この建物のせいもあってか、とても上品に見えます。
「エレガントとはこういうことなのか」
そう痛感させられる、エレガントとは程遠いところで生活している私なのでした。