暦と忠臣蔵 | ワタシノクラシ ANNEX

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The Tokyoite returned from Kansai to Tokyo.

先月から江戸楽アカデミーの4回構成の江戸の暦の講座を受講しています。
2回目の講義は、例のPCR検査の結果の出る微妙な日だったので残念ながら受講できなかったのですけども(こっそり行っちゃおうかと葛藤したんですが、やめときました)、今日は晴れて3回目の講義に出かけてきました。

江戸時代から明治時代への切り替え時に、どのように暦が変わったのかというテーマでした。日本では明治維新で欧化するまでは太陽太陰暦を採用していて、明治6年から太陽暦…というかグレゴリオ暦に変わったのだということなんですが、それによって起きたいろいろがとても興味深かった。マニアックすぎる学校の歴史の授業じゃ聞けないネタ満載です。

で、よく、歴史の説明でなんらかの事件なりがおきた日にちを、年号での年表記+月+日で記載しますが、その年号が西暦でいうと何年なのか?というのを括弧書きで記すよくあるパターンで発生する誤解について話題に上がりました。
江戸時代は太陽太陰暦なので、旧暦の年だけ西暦で何年だったかを表記するだけだと、おかしなことになっちゃうってことです。

忠臣蔵の吉良邸討ち入りの日、元禄15年12月14日を例にして説明してくださったんですね。

元禄15(1702)年12月14日って表記になるわけですが、当然ながらほんとは

元禄15年12月14日 ≠ 西暦1702年12月14日

ってことです。
元禄15年12月14日を正確に西暦(グレゴリオ暦)にすると、実は1703年1月30日なのだそうで。翌年の1月末の出来事になんですねー。びっくり。1702年じゃないじゃん!

でもって、どおりでねぇって合点がいきました。

12月にしちゃぁ雪降ってるし、随分と寒そうだって以前から思ってたんですよ。1月下旬なら納得です。東京で雪が降るって1月〜2月の感覚だから。

とはいえ、「元禄15年の12月に起きた出来事」なので、なんとなーく「12月に起きた出来事」っていう雰囲気(?)のほうを優先して、現代の日本人は、西暦の年末に忠臣蔵のドラマをやったり、歌舞伎や文楽の演目を上演したりしてるんですね。

 

忠臣蔵の話って、そもそもあんまり興味ないなずなのに、どうしたことか、5月に入ってやたらと不思議な気づきが続いております。

今日の暦の講座でも忠臣蔵の話がでてきたのには驚いちゃいました。