今日は旦那のところにいってきた


前にも書いたけれど


今は別居状態です


理由は


大変な神経を使う翻訳のお仕事をしている時


しかも外国人なので差別の多い田舎の会社


それに輪をかけて


私の躁鬱状態の急激悪化


何度も電話を会社にして来てくれないと死ぬからとかリモコンは叩き壊すむちゃくちゃだった


翻訳のお仕事はその会社だけでやっているのではなくとっても大事な仕事だった


時間も決められて旦那は私と仕事に挟まれて苦しかったのだろう


旦那は会社を次の日休んで


次の日病院に行こうよ


(旦那も軽い鬱にその時はなっていて眠れなく睡眠薬も飲んでいた)


風邪の薬もないし、眠るお薬もらいたいんだ


優しい言い方だった


私は風邪の咳が気になっていたので


うんって言ってしまった


そして車の中


サイドブレーキを持った旦那の手に手を重ね


冬のソナタの音楽をかけていた


病院について


待ち時間がむちゃ長いことに旦那はきれていた


私が今の主治医は患者さんが多いのでしかも話が多いので仕方がないよって言ったけれど


なにしろ気の短い韓国人待つのが大嫌い。。これはほんと困った


喫茶店でコーヒーでも飲んでゆっくりしようよねって喫茶店に行った


私はパンケーキセット、旦那はハムサンドセット


旦那はこそっとあんまり美味しくないって耳打ちした


それから診察になり


お互いの診察には立ち会わないことを約束していたのに


旦那は後ろにそっといた


私は気がついていなかった


私が話をはじめると後ろからもうなんて言ったか覚えていないけれど豹変しただんながいた


そして入院させてくださいっていった


もう仕事も出来ないし自分もどうかなりそうですって・・・・


確かに気持ちは今になるとよくわかる


反対だったら11年も一緒にいれないだろう


旦那は限界がきていた


自分も鬱になってしまったんだ


私は病院がどんなところかわかっているのでとにかく走って2度くらい病院を逃げたがつかまった


そして入院病棟に行っても逃げてかぎのかかっている扉を出して出してとさわいだ


そして注射されて意識がもうろうとなった


そして気がついたら胴と両腕に鍵がかかって動かなくしあった


もう絶望だ・・天井を見ているしかないのだ


恨むのは旦那と主治医着替えはお母さんも持ってきたので


お母さんも憎んだ


その日皆に会わせてこんな私を見て平気か聞いてみたかった


旦那は見たらしく後悔で涙を流したと言っていた


いっそ薬で何もかもわからない阿呆になりどうかなればいいと思った


しかもブザーがなく看護婦さんを大声で呼ばなくてはいけない


しかもポータブルのトイレで人の目の前で用をたすという屈辱に涙がでた


会いにくるといった看護婦さんを信じていたのに主治医さえこなかった


入院したのは4日・・


病院バスを降りてランチをお母さんとした


そして会計をしている間


逃げた・・旦那のところへ・・


とんでもない距離を歩いていった


旦那はもう離婚したいので、弁護しか第三者を介してしか話はしないという冷たい言葉しかかえってこなかった


私は呆然とした


旦那はもう精一杯らしく毎日残業で電話しても留守番電話でそれかコンセントもぬいてあるほど


誰とも喋りたくない状況みたいだった


仕事ももうやめようと決心していたようだった


私は入院の時鍵もとられ家にも入れない


毎日3じかん5じかん寒い玄関外で待った


帰ってきたら私の姿をみたらまた出かけると言う、なんだか優しいく包んでいてくれていた旦那とは別人だった


旦那の仕事は一応昨日で休み


4・5は仕事に出ると言っていた


いつもは10日くらい休みがあるのに・・


まだ仕事が終わってないから・・


退職願ももらってきていた


本気でやめるつもり


そして2年前に買った家も売りにすでに出していた


何もかもが信じられない。。いまでも夢であってくれたらと思う



でも今日お化粧品を買いに行く途中電話したら、来てもいいよって言ってくれた


休みになって余裕が出てきたのかな。。


でもほとんど眠っていた、薬のせいで・・


ごはんはちゃんと食べようよって


私がご飯をたいて元の妻らしく家事をした


夢のようだった嬉しかった


もう出来ないと思てた


久しぶりにたくさん食べたと言っていた


なんだか笑顔も出てきて嬉しかった


洗い物をして帰る用意をした


11時に言って送ってもらったのは夜の10時


なんだかんだしても私が大好きで大切なんだとわかった


夢見たいなんだけれど、こんなんだったら


一週間に一度は来ていいよって言ってくれた


あんなに誰とも会いたくないと拒んで疲れきっていたので、その言葉が嬉しかった


私も久しぶりに自分のべっどで眠り(旦那はリビングで寝ているの)安心したのか結構寝た


旦那は一緒には暮らせないけれど愛しているのはかわらない


一週間以内であっていたらきっとまたもどってしまうと言っていた


やっぱり愛してくれるんだね


なんだか戻れそうな気もしてきた


帰り送ってくれた時サイドブレーキに乗せていた旦那の手の上にこわごわ乗せてみた


そしたら手が暖かいね、もう眠たいんだねって言ってくれた


いつもと変わらない優しいことばに涙が出た


でも泣いてはいけない


今は旦那が突然泣いたりして不安定なんだ、わたしまで泣いたら旦那はどうしていいかわからないって言った


苦しいけれどがんばってみるきっと旦那は私がいないとダメだと思う


古内東子の去年のアルバム「カシミヤミュージック」で


それでも走ってくスピードをあげて

立ち止まらないように

あなたもきっとそうやってきたんだもの・・


って「KISEKI」を聞いて帰ってきた


歌は結構私の中で大事。。。


旦那は100万くれるという


少ないけれど裁判したらそれはないよって言われて


もらっていいのかわからない


家もあるので裁判したらもっともらえるのはわかっているけれど


そんなことをしたくない


私は今までまっすぐだった愛を両手を広げるぐらいの大きな愛にかえるんだ


そして祈る、幸せを祈る


寂しい時はまた皆力や知恵をしてね