都内とあるきょうだいの

栄光ゼミナール中学受験記


全く異なる偏差値帯のきょうだい受験記

2024年入試→深海魚シンカイさん振り返り記録

2027年入試→未知数ヨタタニさん受験奮闘記録

※シンカイさん:ゆるり私立中1生 性別非開示

※ヨタタニさん:小4男子 難関コース、今は。

大変恐縮ですがアメンバーさんの

承認条件を儲けています。条件は過去記事

『⭐︎アメンバーさん条件再掲⭐︎』より

ご確認をお願いします。

受験素人の山田ママが好き勝手に語る後半。

今度はややミクロな視点で考えてみます。


前半では学習努力面を省いて

考えていました。

正確に言えば、

成績を上げる為の学習努力です。


なぜ省いていたか。 

それは、

考慮に値しないと導き出されたからです。

極論ですが、俯瞰で見た際の帰結ですので

日々の努力が無駄という意味ではありません。


科学的な実験では、

実験したい物と比較する物を

同じ条件や環境に設定します。

実験したい物の

特性を炙り出すためです。


これが昨今の中学受験にも当てはまります。

受験率上昇により条件の一致が起こります。

みんなが一律で中学受験の塾に通い、

充分な教育を受けられる状態です。


そうすると何が起こるか。


教育の差がない分

地頭の差だけがくっきり鮮明に出てきます。


中学受験率が高くなればなるほど

教育格差がなくなればなくなるほど

皮肉にも地頭の差を

突きつけられることになります。


前半でお話しした

学歴がないけど地頭が良い層に

教育が行き渡る事により

私のような地頭がないけど学歴がある層が

下降して地頭通りの配置になるわけです。


それが一律で教育が充足している場合です。



では教育が一律で不足している場合は

どうだろう。


一律で教育が不足している場合は

教育を受けられるという事自体が

大きなアドバンテージになります。


これが私や私の親世代にあたります。


実は私の両親も都内中学受験組です。

かれこれ60年以上前です。

この時代からあるんです、中学受験は。


当時は塾はなく日曜テストと

家庭教師もしくは自力しかなかったそう。

そこから今の中学受験状況を見たら

かなり恵まれた環境です。

塾のテキストがありカリキュラムがあり

授業がある。


60年前から見たら

今の塾やクラス等の環境の差は誤差レベル。


現代でも塾なし受験と謳うケースが

ありますが、

ネット環境や受験参考書や情報誌、

テキストなし受験は存在しないと思います。

受験環境がないようであるのです。

60年前は上記、全てありません。



整備されていない状態で受験をすると

地頭ももちろんありますが、

それ以外の影響を大きく受けます。

親の財力、

自分で学びとる精神力、

普及していない情報を取ってくる親の能力、

などなど。


現代はそうした条件の差は排除され

あらゆる層が参戦でき

一律で教育が快適に整備されていて

一律で情報が受動的に親に行き渡る状態。


地頭以外で差がつきにくい環境が

これでもかと研ぎ澄まされています。


さらに受験率増加で

本来ある地頭の正規分布の形に

近づいていきます。


つまりみんなより勉強しても

地頭の層は厚く(ちょい上がたくさんいる)

みんなより勉強しなかった瞬間に

正規分布から弾かれるのごとく

ガクッとさがります。

それは下にいる層にも

教育が行き渡っており支えられているためです。


勉強ができない状態をできるようにする

システムがみんなに行き渡っている状態は

そのシステムからの離脱や学習不足は

大きな負のアドバンテージになります。


教育が行き渡っていない環境での

教育を受けるアドバンテージの

逆方向の現象に当たります。



学習努力面が成績向上の観点で

考慮に値しないと考えた所以です。

ただし学習努力をしないと

ガタ落ちする環境であるわけです。


皮肉にも塾や情報流通の発展が

地頭の差を浮き彫りにし、

学習持続を余儀なくしているという..


このように考えていくと中学受験が

とても過酷な受験である事が

導き出されてしまいます。




ではなぜ私は我が子に中学受験を

させるのか。


それはまた今度。



この考えは地頭ない私が考えたものなので

抜け漏れたくさんあり

合っているとは限りません。

ながら読み程度にふーんと流して頂く

くらいがちょうどいい、

という事を最後に申しておきます。