ウィーン窯のデュ・パキエ時代が終わりを迎えると、次の時代が始まります。

 

 

1744年、当時のオーストリア大公マリア・テレジアが、

オーストリア大公国の財政復興を試みるため、

売りに出されていた磁器工房を買い上げて、窯を国営化します。

 

アウガルテンで今なお根強い人気を集める作品「マリア・テレジア」は、

窯の再興を後押しした彼女に捧げられたパターンです。

 

この時代では、宮廷趣味たるロココ様式が台頭し、

ウィーン窯では新たに選任された型職人をはじめとする

磁器製の像が次々に生み出されたといいます。

 

磁器工房に国家再興の可能性を見たマリア・テレジアでしたが、

彼女が1780年にこの世を去ると、

衰退した工房は1784年に国家の手を離れます。

 

以上1744年から1784年までの40年間。

 

ウィーン窯の国営時代が幕を閉じます。

 

 

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マリア・テレジア後の工房は、その財政危機を乗り越えるため

オーストリアのリンツにある織物製造業の工場経営で活躍していた

コンラッド・フォン・ゾルゲンタールに工房経営を委託しました。


彼の指揮下では、

フランスのセーブルに代表される新古典主義様式を取り入れ、

イタリアやウィーンの情景や風景画といったモチーフの絵付けが盛んになされたのに加えて、

それに伴い、当時のセーブル軟質磁器の鮮やかな色彩を、

硬質磁器においても実現しようと、絵の具の開発にも注力したのでした。

 

今でもアウガルテン製磁の滑らかで肌理の細かな磁器に施される色彩は

磁器界における手弱女ぶり(たおやめぶり)と言いますか、

他の窯の絵付けにはない、どこか女性的で、優美繊細さを感じさせます。

恐らくゾルゲンタール時代からの色彩へのこだわりというものが

現在まで脈々と受け継がれているのでしょう。

 

 

こうしてゾルゲンタールはその経営の腕を工房でも発揮し、

ついにウィーン窯は最盛期を迎えました。

 

なお、1784年から1805年までの20余年に渡る彼の管理下時代は一般に

「ゾルゲンタール時代」と呼ばれます。

 

 


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次回へ続く