こんばんわ。もーにゃです。


今回は都合により、一部の絵は数日後に追加とさせて頂きます。申し訳ございませんがご理解のほど、よろしくお願い致します。


長野自動車道も後半。筑北村と麻績村を駆け抜けます。

はじめに、筑北村とは2005年に坂北村、本城村、坂井村が合併してできた村のことです。そして筑北村と麻績村の境がぎざぎざであるため、このあたりは筑北村→麻績村→筑北村→麻績村…と続きます。仕組みがわかるとなあんだ、ということですが、面白い現象です。


筑北村…本城村、坂北村、坂井村の順番にて紹介いたします。


本城村:アカマツ、ツツジ、ウグイス

カントリーサインはアカマツ、ツツジ、ウグイスです。綺麗な図に纏められています。

アカマツは村の木、ツツジは村の花、ウグイスは村の鳥です。この三つはマンホールでも描かれています。どうしてこの三つがシンボルになったかを知ることは今となってはできませんが、多分アカマツやツツジが多く自生し、ウグイスが多く飛来するからでしょう。

尚、本城村には「とくら沢」という場所があり、周辺には西条温泉「とくら」や合宿所などがあります。これを敢えてカントリーサインにしなかったのは坂井村や坂北村への配慮かもしれませんね。


・坂北村:ヤマツツジが咲く春の差切峡


Todo sobre los signos municipales ~オール・アバウト・カントリーサイン~ カントリーサインは差切峡とヤマツツジです。

差切峡は、岩が重なった地層に麻績川が流れたためにできた景勝地です。洞穴や変わった形の岩が多いそうです。春にはヤマツツジが咲き誇り、秋にはモミジが映えるという、素敵な場所です。明治初期の差切新道開通以来交通の便がよくなり、訪れる人も増えていきました。1965年には県立自然公園に指定されています。(だからカントリーサインに選ばれたのかもしれませんね)

その差切峡ですが、古くは大蛇が住んでいたといわれています。長雨で流された大蛇が差切峡の「ドの渕」に住み着きますが、大蛇のせいで鳥を捕れなくなった猟師が大蛇を殺してしまったところ翌年から村を蛇が襲うようになったので蛇を竜王大権現として祀ることにしたそうです。地元住民による「竜王大権現祭り」は現在も行われており、竜を描いたのぼりを立て、笛と太鼓で奉納を行います。

・坂井村:クアハウス坂井


Todo sobre los signos municipales ~オール・アバウト・カントリーサイン~ カントリーサインは
クアハウス坂井と温泉に水着で漬かる綺麗なお姉さまです。今までがいわゆる絵だったので並べると浮く…いや目立ちます。ま、インパクトで言ったら一番なので、カントリーサインとしてはよく出来ているのですが()

クアハウス坂井は1991年に開館した村営の温泉宿です。草湯温泉冠着荘と同じ敷地にありますが、冠着荘とは玄関まで同じで別の建物です。(ちなみに冠着荘は1969年、草湯温泉が掘り当てられた翌年に誕生した、かなり古くからある旅館です。)

クアハウス坂井には温泉の他に温水プールやトレーニングセンターがあり、更にプールにはウォータースライダーもありました。温泉というより健康ランド色が濃い、全世代的な温泉施設でした。カントリーサインのお姉さまのように、温泉に入る時は水着を着用しなければならないというのも、面白いです。冠着荘の宿泊客は特別な割引が適用されるので、普通の温泉に泊まりながらプールにもいけるという、ちょっとしたリゾート気分を味わえますね。尚、開館1年目はその珍しさから多くの訪問客が訪れ、見込みを大きく上回る収益が得られたそうなので、当時は珍しかったのかもしれません。

しかし、私たちがクアハウス坂井に行くことはもうできません。クアハウス坂井は2008年に閉館したからです。筑北村には温泉が多すぎる、というのが平たく言えば廃止理由のようです。(尚、冠着荘は今でもあります。) そう考えると、カントリーサインが切なく思えます。そういえばマンホールもクアハウス坂井らしいですが、当時はそれだけクアハウス坂井への期待が大きかったという事なのでしょう。


麻績村:福満寺と聖山

 カントリーサインの解説を行う前に、この村、「おみむら」と読みます。初めてこの地名を見たとき、私は「ませきむら」だと思っていました。(狩野栄孝などの事務所になってしまいますね())

 さて、先ほども書いたように、長野自動車道はしばらく筑北→麻績→筑北→麻績…と続きますが、麻績村は筑北村と違い、合併されて出来た村ではありません。村境がでこぼこしているため、時々筑北村を通ることになるようです。むしろ、麻績村は古い歴史を持つ村で、善光寺街道の宿場町である麻績宿がありました。

さて、カントリーサインの絵ですが、聖山と福満寺ではないかと考えられます。

聖山は古くから信仰対象とされており、修行僧たちの修験場でした。また、お天気を知らせる山とも言われており、聖山が曇っている日は雨が降るといわれていたようです。現在は地元放送局のアンテナが立っており、今でも地元民の生活に影響を与える山でありつづけています。

聖山の山麓には36の寺院がありますが、その内の一つが天台宗福満寺です。福満寺は平安時代に建立された麻績村最古の寺で、4メートルの薬師如来像をはじめ、国の重要文化財である仏像が5体祀られています。

麻績村には「曼荼羅の里」という通称がありますが、聖山と福満寺があるというのが大きく影響しているようです。


繰り返しますが、本城村と麻績村の絵はすぐに追加します。


次回は最終回。千曲市と長野市を取り上げます。