一ヶ月経ちましたが、宮城県突入しました。

もう、「東北の春、日本の春」まで引っ張ってしまおうかと考えている位です…。本当にすみません…。


○宮城県

白石市:弥次郎こけし
Todo sobre los signos municipales ~オール・アバウト・カントリーサイン~はかわいいこだま…ではなくこけし三体です。弥次郎こけしは宮城県白石市の伝統工芸品(1981年制定)で、頭の天辺にある輪っか(ろくろ線というそうです)の下に赤を基調とした色々な飾りがあるのが特徴です。矢次郎の名は、江戸時代にこの地に弥次郎という人が来て村を作ったことが由来です。

かつては専用ろくろで二人組みになって製造していましたが、現在はモーターのろくろで製造しているそうです。ミズ木や桜をろくろで加工して絵付けするというのが大まかな工程となっています。同市には弥次郎こけし村というものがあり、そこではオリジナルのこけしを作ってくれるそうです。また、53日頃にはこけしコンクールなるものも開催されます。

さて、こけしにはちょっと怖い都市伝説があります。それは、こけしの由来は「子消し」で、間引きした子供を供養するためのものであるというもので、弥次郎こけしも弥次郎が子供を失ったからという説があります。(私はとある漫画で知りました。) しかし、実はこの都市伝説、根拠がないというので現在は嘘とみなされているようです。ただ、知識人ではない私がいうのもなんですが、私はこのこけしの使用目的の検討がつかないことや、昔の農業を取り巻く環境を考えると、可能性としてはあるのではないか、とどうしても思ってしまいます。信じるか信じないかはあなた次第…って話なんでしょうか。


蔵王町:蔵王のお釜


Todo sobre los signos municipales ~オール・アバウト・カントリーサイン~ 図は「蔵王のお釜」という湖です。蔵王観光においては絶対に見ておけというスポットで、別名は「五色沼」というらしいです。

「蔵王のお釜」は蔵王連峰の中で最も標高の高いところにあり、噴火後の火山の火口に水が溜まってできた湖です。五色沼という通称は、蔵王のお釜にある水の色が季節によって微妙に変わることから来ました。ちなみに噴火は1182年頃、湖の完成は1820年頃といわれています。

近くには刈田峰神社という神社があり、謎の積み石があります。この積み石は一説によると、賽の河原の石だそうで、(賽の河原の石は、親より先に死んだ子供の霊が積み上げるものだといわれています)近くにはそのままの地名がついた土地があります。もしかしたら、昔火山噴火で子供が死んだ、そうでなくとも飢饉などで子供が死んだという悲しい歴史があるのかもしれません。


・村田町:布袋まつり
Todo sobre los signos municipales ~オール・アバウト・カントリーサイン~ 図は、宝船に乗った布袋です。実際の色は緑なのでちょっとぎょっとしますが、可愛いカントリーサインです。

 村田町では毎年10月に「布袋まつり」が行われ、布袋囃子の笛の音が奏でられる中約2メートルの布袋人形を掲げた山車が街を練り歩きます。

ここで、布袋とは何かを説明します。布袋とは七福神の一神で、大きなお腹に大きな袋がトレードマークです。(こういうとサンタクロースみたいに感じますが笑) お坊さんの格好をしており、禅僧だったという説もあるそうです。大きな袋は「堪忍袋」といって、布袋様は大らかな性格と豊かさ、繁栄を司る神様として日本では信仰されています。ぽっちゃりした人におおらかなイメージがあるのは布袋様と関係があるのかもしれませんね。

では、布袋様と村田町にはどのような関係があるのでしょうか。布袋まつりの始まりは、布袋囃子の笛の音でした。源平合戦の1つである「一ノ谷の合戦」で戦死した平敦盛は、生前お気に入りの笛である「青葉の笛」でよく布袋囃子を吹いていたそうです。それをいつも聴いていた落ち武者が逃亡先の元・村田町で伝え、それが広まりました。やがて囃子には「布袋踊り」という踊りがつき、現在の布袋まつりに繋がって、今に至ります。

平敦盛が布袋囃子をよく吹いていたという話を聞くと、平家の栄枯盛衰を連想してしまいます。布袋様は富を司る神様なので、「平家に布袋様のご加護を」というつもりで吹いていたのではないかなと思います。


宮城県に突入しましたが先は長いですね。

①このままこのシリーズを続けるか。

②このシリーズと並行して他のシリーズを続けるか。


どちらにすべきか迷います…。