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ロンドンつれづれ

気が向いた時に、面白いことがあったらつづっていく、なまけものブログです。
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イギリスには高齢で魅力的な女優さんが何人もいる。 

 

007のM役で知られているジュディ・ディンチとか、ビリー・エリオットのダンス教師を演じたジュリー・ウオルターズとか、ダウントン・アビーで世界中に知られているマギー・スミスなどである。

 

ダウントン・アビーは日本でも放映されていたから、彼女を知っている人は多いのではないだろうか。

 

 

 

マギーはまた、ハリー・ポッターの中では、プロフェッサー・マクゴナゴルを演じ、人気を博した。 多くの人が、これは彼女にぴったりの役柄だと思ったのだ。

 

 

 

「天使にラブソングを」でもシスターの一人を演じていた。

 

 

彼女はスコットランドはグラスゴー出身の母親と、ニューカッスル出身の病理学者の父親を持ち、4歳の時に父親の仕事の関係でオックスフォードに移り住んだ。

 

そして17歳でオックスフォード大学ドラマ・ソサエティの持つオックスフォード・プレイハウスに所属し、「十二夜」のヴィオラ役を演じ始めた。 その後プレイハウスでいくつかの演劇にかかわり、1956年にエセル・バリモア・シアターでブロードウェイデビューを果たした。

 

1962年には彼女の才能を見つけたローレンス・オリビエが彼の作ったナショナル・シアターへマギーを召喚。すぐに彼は彼女が大いなるライバルだということに気が付いたそうである。「喜劇をここまで演じられる人間は悲劇も演じられる」とその才能を評価した。

 

その後、マギーは劇場だけでなく映画やテレビドラマでもキャリアを通して活躍し続けたのである。

 

そのマギー・スミスが9月27日に亡くなったそうである。89歳だった。

 

映画、テレビドラマ、そしてシェイクスピアなどの舞台と多くの場を得て才能を存分に生かし、Dameの位を受賞したマギーは、89歳でその人生の幕を閉じた。 大往生だったと思う。

 

マギーの死に際し、チャールズ国王は彼女を「国宝だった」と表現、スターマー首相は「その才能を実に多くの人に愛された」と述べ、ハリー役のダニエル・ラドクリフは「剃刀みたいに頭が切れて、素晴らしく舌鋒鋭い」と愛情込めて話した。

 

「マギーは威圧的ではあったが、同時にひどく魅力的な人で、実はとても面白い人だということはみんな知っていた。彼女と時間を共にし同じセットで仕事をしたことはすごく幸運だったと思っています。レジェンドという言葉は芸能界では使われすぎていますが、彼女こそまさにレジェンドと呼ばれるに値する。これまでありがとう、マギー…!」

 

エマ・ワトソンは「子どものハーマイオニーは共演者(マギーの)の真の偉大さを理解していなかったけれど、大人になって初めてわかった」と述べた。インスタグラムで「本物で正直で、おかしくて、自分をきちんと大事にする人」と称した。

 

ロン役のルパート・グリントは「マギーと踊れたことはすごくラッキーだった」とインスタグラムに書いた。

 

Rupert Grint pays tribute to 'Harry Potter' dance partner Maggie Smith


マギーは1970年代にオスカーを二度受賞、そしてバフタ賞は7回も受賞している。


国王も首相も、マギーの長い、そして栄光のキャリアに対し敬意を表し「世界中の彼女のファンとともに、その偉大な功績と彼女の暖かさ、鋭いウイットをいつまでも覚えていることだろう」と話した。ダウントン・アビーで共演したヒュー・ボナヴィルも、「本物のレジェンドである彼女は幾多の偉大な映画の中で生き続けるだろう」と話した。

 

マギーはコメディで突出した才能があったが、深い悲しみを伝える役柄でも優れており、その演技の幅が評価されていた。ダウントンアビーで孫の役をしていたミッシェル・ドッケリーは「マギーのような役者は他にいません。彼女のような自立した人と共演できたことは実に幸運だった。本当に惜しい。」 ダウントンアビーの原作者、ジュリアン・フェローズは「聡明で可笑しくて、同時にひどく哀しい、幾重も綾なす性格を持つマギーのために書くことは喜びだった。」と述べた。

 

2002年にはドラマ、「ゴスフォード・パーク」でオスカーとバフタにノミネートされた。


マギーはジュディ・ディンチと共に、「眺めの良い部屋」や、「ザ・ベスト・エキゾティック・マリゴールド・ホテル」などに出演した。 ポール・マッカートニーは1960年代にマギーと会った時に、「マギーは最初からトンチンカンで楽しいことが大好きだったよ。ユーモアのセンスがとってもあった」とインスタグラムに書いた。彼女はウイットの効いたユーモアで共演者を笑わせるのが好きだったようである。マギーは自分の役柄に深い洞察力を持つ偉大なコメディエンヌとも評された。バフタは彼女を英国のステージ・映画史の中のレジェンド、と評した。
 

息子たちによると、マギーは病院で家族や友人に囲まれ静かに息を引き取ったそうである。「私生活を大切にする人だった。二人の息子と5人の孫は彼女を失って悲しみにくれています」とし、病院のスタッフに感謝をした。

1950年代にキャリアを始めたマギーは1965年にシェイクスピアのオセロをローレンス・オリビエとともに演じ、デスデモーナの役でオスカーにノミネートされた。

1993年にSuddenlyで共演したロブ・ロウは、「マギーとの仕事は忘れられない経験だ。まるでライオンといるみたいだった。彼女は誰だって生きたまま食べられるし、ちょくちょくそうしていたね。しかし大変に愉快で素晴らしい仲間だった。彼女は愚か者には容赦しないんだ。あんな人はもうでてこないよ。」と。
 

 

(ジュディ・ディンチと)

 

 

下のBBCのニュースサイトでは、グレアム・ノートン・ショーに出演した当時80歳のマギーが若い観客を大笑いさせている様子が見られる。80歳にして頭の切れるユーモアで若者を沸かせるマギーは、役柄を離れても大人気だった。

 

1990年に、「デイム」の称号をエリザベス女王から授けられた。

 

ご冥福をお祈りします。

 

PA Media Queen Elizabeth II being presented to DameMaggie Smith by Sir Laurence Olivier, when the Queen attended the charity premiere of the film Othello at the Odeon Theatre in London in 1966

(エリザベス女王と)

 

Dame Maggie Smith tributes paid by King and Harry Potter co-stars (bbc.com)