沖縄730のステッカー | 新松戸ポプラはりきゅう整骨院オフィシャルブログ

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ヤフオクで手に入れた当時物の沖縄730(ナナサンマル)のステッカー。

 

 

ステッカーが台紙より縮んでしまってるのが長い時間が経ったのを感じさせますね。

 

 

これが単なるキャンペーンのステッカーではなく、戦後の沖縄の歴史で生活様式の重大な転換期の意味を含んでます。

 

第二次世界大戦後にアメリカ統治下の沖縄はアメリカと同じ右側車線走行でしたが、昭和47年に日本に返還されると今度は左側車線走行に変更するという大事業がありました。

 

その変更日が昭和53年7月30日で、その日付から名称が730(ナナサンマル)なわけですキラキラ

 

戦後33年も右側車線を走る習慣ができあがってて、いきなり今日からそれが真逆になるってドライバーもパ二クったろうなあせる

 

YouTubeで無料公開されてる当時の短編映画の『沖縄730 道の記録』は沖縄好きは一見の価値あり。

 

 

 

県内すべての信号・道路標識などをそっくり反対側に移設だから道路工事関係者もシビれますわなガーン

 

特に県内のガードレールを1枚残らず付け直しなんて気が遠くなりますねあせる

 

 

国産車も沖縄だけは右車線走行仕様の左ハンドルだったから、左車線走行になって走りにくくなったでしょうね。

 

バスの乗降口も左ドア仕様に変更しなきゃならんしね。

 

自分が生まれた昭和49年は沖縄は日本だったけど、4歳になるまで右側車線走行だったのを知ったのは大人になってからです。

 

その時のアメリカの名残のある景色を見てみたかったな。