アラカン&シングル応援しています
Yoshikoです
ちょっと深めの話です
よかったおつきあいください
今、傾聴サポーターを名乗らせていただいて
日々学ばせていただいていますが
昔の私はほんとうに
話がきけなかったんですよね
特に母の話がまったく聴けなくて
うちの母は元気なころは
マシンガントークであり
とにかくよくしゃべるしゃべる
基本
人の話を聞かないタイプの人で
(決めつけてはいけませんが、
しかしこれは事実です)
人の話を奪う、かぶる、自分の意見を押し通す
ってことが多かったんです
だから基本私は聴かないし
否定ばかりしていました
その頃は私も自分の声を聴けてなくて
自分自身への否定も多く
母の言ってることも
受け入れられなかったんですよね
そのせいか
母が弱って
介護が必要になってからも
あんまりちゃんと話を聴いて
あげることができなくて
母娘の関係は
いろいろな感情の糸がからみあうこともあって
なかなか一筋縄ではいかないことも多いと
私は感じます
うん十年のつもりつもった関係性
良きにつけ悪しきにつけ
その母娘にしかわからない
感情のやりとりの歴史があるかと
思います
お悩みの方もきっと多いのではないでしょうか
家族の話は傾聴しにくいといいますしね
母は難病だったので
段々話が出来なくなっていく病気でした
(頭では話がしたいのに、
喉に神経の指令が飛ばず
声にならないのでした)
なので
病状が進んでいくと
うまく伝えられないジレンマに
おちいっていました
とても苦しそうでした
マシンガントークの母にとっては
せつない病気でしたね
それでも
感情はきちんともっていて
うれしい、くやしい、なきたい、はがゆい
という気持ちはきちんとあるのでした
訪問看護師、ヘルパーさん、
ケアマネさん、義姉、娘たちも
きっとおばあちゃん(母)はこう思っている
こう感じているんじゃないか
という推測の域でしか
理解できなくなったんですよね
母という人柄を察して
こう思っているんだろうと
しか理解してあげられず
もしかして違ったかもしれません
亡くなった今
話がきちんとできる頃に
話をちゃんと聴いてもっと
よりそってあげればよかったな
とか
話ができなくなってから
母の気持ちをどれだけ理解
できていただろうかと
自分を責めていました
でも傾聴を学んでみて
大事なのは
「聴こうとする」気持ち
「相手によりそっていこう」という自分の気持ち
「聴けない時は聴けなくていい」
ということを教えていただいて
母の話を聴けなかった自分を
許すことができました
母が私に対してどんな気持ちをいだいて
亡くなっていったのかはわかりません
どう感じたかは
母が空にもっていったと思っています
大切なのは
自分がどういう自分でむきあっていたか
なんですよね
そんなわけで
また書きますね
いつもこんなことばかり考えちゃいませんので
次回はもっと
くだけたブログにしま~す
サングラス好きな母娘
~おまけ~
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