毎週木曜深夜のラジオ・プログラム「ジェームズ・ミルズのI hope★I wish」は、いわゆる人生相談番組のひとつ。曜日と放送時間帯から考えれば、人気番組といえる。その構成は至ってシンプルで、リスナーから寄せられた悩みに、人間科学と経済学の博士号をもつジェームズ・ミルズが“それっぽい”意見・感想を述べる。その回答は極めて曖昧且つ漠然として、往々にして電話をしてきた相談者を怒らせる始末だ。
 それでも番組は17年間続いており、聴取率も同時間帯の他番組を抑えトップという輝かしい実績を持つ。

 相談者の多くは、この立派な肩書を有するミルズのアドバイスに期待しているのではない。ラジオという公共の電波で自分の抱える悩みが如何に深刻であるのかを一人でも多くの人たちに訴えたいだけなのだ。
 だから、相談内容の大部分は愚痴として括られるシロモノばかり。自分のダイヤルが番組ディレクターの手によってミルズにつながれ、「ではお悩みを聞かせてください」と彼が促した時点で、相談者の大半の目論見は成就するという訳だ。
 いまの時代、ラジオやテレビに悩みを相談して問題が解決するなんて誰も考えてはいないし、期待もしていない。それは情報社会の成熟を意味している。ラジオもテレビも時の流れの中でひとつの役割を終えつつあった。
 でも期待されていようがいまいが番組構成上、ジェームズ・ミルズはそれらの相談に“何かしら”を回答を出す必要がある。それがこの番組での彼の役割であり、仕事なのだ。
 しかし訳知り顔に聞こえる彼の意見は、その都度相談者の逆鱗に触れ、番組本来の趣旨とはかけ離れた方向へとヒートアップしていく。(もしかすると、番組プロデューサーの狙いはそこにあることを賢いリスナーであれば既に気が付いている)
 そして最後は相談者が受話器を叩き切る音と、その後に続くプープーという不通音が電波に乗ってリスナーの耳に届けられる。取り繕おうとするミルズの混乱ぶりと、電話が切れた後で彼が決まって呟く「…切れてしまいましたね。I hope…(もしくはI wish)」が番組の大きな魅力であることは言うまでもない。
 相談者のキレ方とミルズのその場限りの取り繕いに毎回期待した、ダイヤルをこの局にチューニングするリスナーも多いと地元新聞紙は取り上げた。でなければインターネット全盛の時代に、誰が木曜日の午前一時にわざわざ自宅の居間で(調査によれば、番組リスナーの職業は、職業的ドライバーよりも30~50代のホワイトカラーの男性が約5割を占める)ラジオ放送なんか聞くものか。

 それでも「ジェームズ・ミルズのI hope★I wish」は、立派な人気ラジオ番組である。…ただちょっとだけ、番組の謳い文句その存在意義に食い違いがあるのだが。



 それはとても蒸し暑い、夏の夜のことだった。枕に滴り落ちる汗に意識を取られて、僕はなかなか寝付けない。眠るのを諦め、Tシャツとジーンズに着替え部屋を抜け出す。ドアに鍵をかけようとした瞬間、モナ(同居している猫)が建物の壁伝いに走り寄ってきた。

 彼女をひとまずドアの内側に押し込んでから、なるべく音がしないように扉を閉めて、ソラウレン通りに出た。どこからともなく、洗濯機の脱水音とアブラゼミの鳴く声が聞こえてきた。
 ソラウレン通りからクイーン・ストリートまで出て、右に折れた。そのまま道沿いに10分ほど歩けば、レイク・パークにつながっている。湖の上を流れくる風で涼みながら、タバコを吸いながら妄想するのも悪くない。(むしろ、いい考えだ)
 クイーン・ストリートを公園に向かって歩いていると、数人のルンペンから「煙草をくれ」と声をかけられる。「J.P.S.(John Player Special)でいいか?」と応えると、「なんでも」と帰ってくる。僕は一応礼儀正しく親に育てられたので、相手の煙草の好みを気にして、そう尋ねるのだ。その所為で僕は、彼らの間では“JP”と呼ばれている(らしい)。ただ、その呼称の由来には僕が日本人だからということも想定されるのだが。
 二人目にタバコを与えた頃、ちょうど「サニーディズ」の明かりが見えた。サニーディズは24時間営業しているドーナツショップだ。ウインドゥ越しに店内を覗くと、三組の客が目に入った。ドアを押して中に入り、セルフでトラジャをMカップに注ぐ。
レジに誰もいないので、奥に声を掛けると店長兼オーナーのスコットが出てきた。

 「久しぶりだな、JP」
 「三日と空けず来ているよ。昨日もオールドファッションとコーヒーを買ったよ。アンタとはこのところ縁が薄いだけさ」
 「そりゃ失礼したな。レイク・パークまでこれから夜の散歩かい?」
 「ああ」
 「なら、チョロスも一緒にどうだい?夜食にはちょうどいい量さ」
 僕はちょっと考えて、代わりにアップルパイを頼んだ。スコットは僕の差し出した3ドルを受け取りながら、「温めてやるから五分待ってな」と言った。
 「ところでロゼッタは?」とスコットの大きな背中に尋ねる。
 「今夜は非番さ。明日は早番だからな」と声だけで返し、そのまま厨房の奥へ姿を消した。店内には『ジェームズ・ミルズのI hope★I wish』が流れている。
 僕はレジスターの置かれたショーケエスに肩肘を預け、クイーン・ストリートを通り過ぎていくクルマのヘッドライトを眺めながら、番組に耳を傾けている。
 ミルズに職業を尋ねられた相談者はハイスクールの化学教師と名乗った。ただ、最後に“臨時雇い”であることを強調した。その声はとても神経質そうだった。店内で話し込んでいた客たちのおしゃべりは既に止んでいた。皆んなこれから起こる予定調和としてのハプニングに静かに胸を躍らせている。

 そうさ。誰だってこんなに蒸し暑い夜には、他人の感情に自分を照らしてみたくなるのさ。朝が来れば、輝かしい金曜日がやってくる。積りに積もった鬱憤はやっぱり木曜日の夜に処理すべきなのだ。

 …暑い暑い木曜日の深夜。