1975年夏、ポップス その2 ビー・ジーズ特集 | ポップス小僧辰五郎のこころのeye

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ビルボード ナンバー1

8月9日、8月16日付 「ジャイヴ・トーキン」 ビー・ジーズ

原題は「Jive Talkin'」 馬鹿話をすると言う感じだろうか。ジャズのスイングのようにリズミカルに話すというニュアンスもある。

日本ではややヒットしたが、大いなる転換を図った曲。

「マサチューセッツ」…スコット・マッケンジーの「花のサンフランシスコ」に似ている気もするが…「若葉のころ」「傷心の日々」などのバラード路線も

やや飽きられていた。

日本公演を1972年から74年まで3年連続で行うも74年は空席が目立ったという。

アップテンポなダンスナンバーへの転換により後の「サタデーナイトフィーバー」へとつながる。

長兄バリー・ギブと弟ロビン・ギブとの仲は悪く1969年には一時解散もする。

私はファンクラブの会員であった。会員番号A-77。会報は今も保管している。

2003年に長兄バリーがビー・ジーズ終了宣言をし(理由は兄弟の仲裁役を務めていたもう1人の弟モーリスの逝去)

翌年ファンクラブは終了。

2005年旧ファンクラブから連絡がありロビン・ギブの1回限りのライヴに行くことができた。

2012年ロビン逝去。