気が付けば半世紀も生きていて。
自分が子供の頃テレビで見ていた俳優さんが亡くなっていったりする事が多くなっていって。
私の父も2年前に他界して。
大好きな昭和がどんどん遠のいて行って。。。
6月は大好きだった女優、野際陽子さんが亡くなったり、
辛い闘病生活を生きて生きて生き抜いた小林麻央さんが亡くなったり。
私は赤の他人でありながら悲しくて、こっそり涙していました。
そして小林麻央さんが亡くなった同じ日に、
日本に住んで居た頃とてもお世話になっていた高場将美先生もご逝去された事を知りました。
高場先生は私の一番最初のスペイン語の先生です。
ご自身が東京外語大学の学生さんだった頃から、来日アーティストの通訳を務めたり、ラテン音楽の雑誌の編集長、フラメンコ雑誌パセオの編集長もされてた時代もあったと伺っていました。
音楽や舞踊の評論解説、大学の講師もされていたり様々な場面で活躍された方でした。
http://latina.co.jp/?main_page=wordpress&p=10516
私がスペイン語を習っていた頃は、フラメンコに夢中な時代でした。
高場先生とはどこで出会ったのだったかな。
記憶はさだかではありませんが、確か新宿の飲み屋さんです。
当時フラメンコを通じて仲良くなったYちゃんと毎晩の様にフラメンコに触れては熱く語り合ったものでした。
そこで良く行くようになったのが歌舞伎町、しかもゴールデン街にあるフラメンコ居酒屋ナナでした。
20代の小娘だった私達が足を踏み入れるには勇気がいる場所でした。
恐々と扉を開けた日を昨日の事のように覚えています。
そして私達のナナ通いが始まり、お店のママ、ナナさんにも可愛がっていただき、そこの常連さんだった父と同じくらいの年齢の高場先生とも仲良くなったのでした。
高場先生は私達小娘とは対等に話してくれないだろうなと思われるような立場の方だったにも係わらず、すごく気さくにいつもニコニコと色々なお話をして下さいました。
無知な私達にたくさんの事を教えて下さり、嫌がる事もなく私達のたわいもない話も聞いて下さいました。
お酒が大好きな方で、同等に飲めるYちゃんと全然飲めない私と3人でいつも飲み歩いて居ました。
たまたま帰る方向が一緒だったので、ベロンベロンの先生と一緒に小田急線だったり、終電を逃すとタクシーだったり、、帰り道の思い出も尽きません。
当時高場先生はフラメンコの評論家としてお忙しい頃でもあったのであちこちで有名な舞踊家や音楽家の舞台を観に行くのもお仕事でした。
それなのに、たまたま同日同時刻にYちゃんと私の初めての発表会が重なったら、お遊戯会のような私達の舞台を優先して観に来て下さる先生でした。
その後も、数少ない私が立った舞台には全ていらして下さった事今も忘れません。
いつもニコニコと笑っていた高場先生。
2001年にナナさんが亡くなった時、丁度スペイン留学中だった私に、
「帰って来なくていいよ。勉強を続けて!帰って来たらナナさんに怒られるよ」
とメールを下さったのも高場先生でした。
そして又おっしゃるのでしょうか。
「帰って来なくていいよ」と。
あれから16年。
もうすぐナナさんの命日ですね。。
先生に教わっていたスペイン語。
今では先生とも同等に話せそうなくらい上達しましたよ。
今度会えたら先生とスペイン語で会話したいです。
高場先生。
ありがとうございました。
ご冥福をお祈り致します。