最近は暑すぎて、だるくTOEFLの方も少しだれてきてます。
学生とはやはり揺れるものであることは間違いなく、それは大半の方々が知ってることでしょう。
このモラトリアム期は遊びたいし、一番自由な時期ですからそうなるものだと自分に言い聞かせています。
世の中にはいわゆる意識の高い学生も多々いらっしゃるわけですけど、そういう方々はツイッターでぼくのインスパイアツールにさせていただいてます。
一時期は、自己陶酔の人たちかと嫌悪していましたが、それも一つの在り方だと思えるようになりました。
仮に自己陶酔だとしてもそれは自分のモチベーションの向上につながるわけで、結局はその人にプラス効果をもたらすので、それは全然問題ないのでしょう。
意識に関するカテゴライズは前から言ってる通りですが。
問題はその人の真摯さと本質性であって、それを起点にした勉強をしているかどうかだと思うんです。
例えば海外系NPO、NGO、ボランティアなら語学の勉強は必須(現地ではなく日本におけるサポートだったら話は変わります)ですし、起業家を目指したいならマネジメント、マーケティングの勉強などなどをすればいいわけですよね。
ところが、全員が全員そうではない。
そういう人たちが謙虚にならないのは只の自己陶酔にしかならなく何の意味もなさないと思うんです。
要するに自分自身がどれほど物事に対して真摯さを持てるか。
才能とかよりも熱意がキーなわけで。
そういう人は誰が見てもかっこいいです。
そこで真似しなくちゃいけないのは、その人のやってることではなく、その人の姿勢をちょっとずつ真似ていくこと。
ちょっとでも何かできたら自分を誉めてやっていいと思うんですよ。
誰もがずっと本質を突き抜けられるわけじゃないですし。
未来を担うのはそういう方々に任せておけばいい。
皆が皆強いわけではないですし。
自分が目的として持ったものをちょっとずつちょっとずつ。
階段を登るように。
ぼくは中性子でありたいです。
最初は不安定でいいです。
いずれ核を担えるのなら。
学生とはやはり揺れるものであることは間違いなく、それは大半の方々が知ってることでしょう。
このモラトリアム期は遊びたいし、一番自由な時期ですからそうなるものだと自分に言い聞かせています。
世の中にはいわゆる意識の高い学生も多々いらっしゃるわけですけど、そういう方々はツイッターでぼくのインスパイアツールにさせていただいてます。
一時期は、自己陶酔の人たちかと嫌悪していましたが、それも一つの在り方だと思えるようになりました。
仮に自己陶酔だとしてもそれは自分のモチベーションの向上につながるわけで、結局はその人にプラス効果をもたらすので、それは全然問題ないのでしょう。
意識に関するカテゴライズは前から言ってる通りですが。
問題はその人の真摯さと本質性であって、それを起点にした勉強をしているかどうかだと思うんです。
例えば海外系NPO、NGO、ボランティアなら語学の勉強は必須(現地ではなく日本におけるサポートだったら話は変わります)ですし、起業家を目指したいならマネジメント、マーケティングの勉強などなどをすればいいわけですよね。
ところが、全員が全員そうではない。
そういう人たちが謙虚にならないのは只の自己陶酔にしかならなく何の意味もなさないと思うんです。
要するに自分自身がどれほど物事に対して真摯さを持てるか。
才能とかよりも熱意がキーなわけで。
そういう人は誰が見てもかっこいいです。
そこで真似しなくちゃいけないのは、その人のやってることではなく、その人の姿勢をちょっとずつ真似ていくこと。
ちょっとでも何かできたら自分を誉めてやっていいと思うんですよ。
誰もがずっと本質を突き抜けられるわけじゃないですし。
未来を担うのはそういう方々に任せておけばいい。
皆が皆強いわけではないですし。
自分が目的として持ったものをちょっとずつちょっとずつ。
階段を登るように。
ぼくは中性子でありたいです。
最初は不安定でいいです。
いずれ核を担えるのなら。