Hello there,自分語研究家Mikiです。
先日、林修先生のTV番組で英語教育についての話があったようですね。
息子を寝かしつけたら見れる!と思って録画予約をしなかったら
思わず寝落ち…(TT)
見逃してしまいましたが、動画を見ることができました。
インターネット社会ってすごいですね。
林先生の主張は
・英語ができない親ほど、英語教育に必死。
(林先生は東大卒で早期英語教育をしている親にあったことはないとか…)
・英語ができる=仕事ができるではない
(英語ができるけど、仕事ができない社員はいらない。)
・語学はアプリ、元々のスペックを高めてしまえば、語学は後からでも入ってくる。
(思考(脳)の言語と、伝達(音)の言語があり、思考を鍛えておけば語学は後から入ってくる。)
といったものでした。
今回は、この林先生の主張と対話したいと思います。
まず、最初に
「英語ができない親ほど英語教育に必死」について
確かにそうかもしれませんね。
バイリンガルの親が英語教育をしている話はあまり聞いたことありません。
でもなんです。親がバイリンガルの場合、家庭内で英語を使っている、もしくは英語を使う環境で生活している場合があります。そういう場合なら、英語教育の必要はないですよね。
ですから、「英語ができる親ほど英語教育に熱心ではない」という言葉を100%鵜呑みにしてしまうのは少々危険な気がします。
それに、親が英語ができないから英語教育や英語教材に頼るのはごく普通のことなんじゃないかなと思うんです。
自分ができなかったからできるようになって欲しい。それのどこがいけないんでしょうか。
大切なのは、「必死になっている英語ができない親」が
どういうビジョンを持って、英語教育をしているかということです。
周りがやっているから自分も英語教育をしているのか
本当に必要性を感じて英語教育をしているのか
英語ができたらどんな場面で活躍して欲しいのか。
最終的にどんな道を歩くのかは子ども自身が決めることですが
最初の数年、十数年だけ、親がサポートしてあげているだけなのだと思います。
これは、ついでなのですが
林先生の「東大卒の親で英語教育をしている人に会ったことない」は
「東大卒=優れている」って思っているの?って思ってしまい
「英語ができる=仕事ができる」と思っているのと大して変わりないのでは?
と高卒で凡人の私は思ってしまいます。(笑)
次に「英語ができる=仕事ができる」ではない。
これは大賛成です。って多くの人がそう思っているんじゃないのかなと思うのですが、どうでしょう。
「英語ができる=仕事ができない」とい人がいたら
イタイなぁとか、何調子に乗っているんだろうって思っちゃいますよね。
面接時の「英語ができます」は自己評価でアピールする部分なので
本当にできるかどうかの判断は難しいものです。
「英語ができます!」といっていた人が採用されても
実際の英語のレベルがそうでもなかった、もしくは
「英語ができるけど仕事ができない」=「英語ができれば仕事ができる」と思っている人だったのかもしれません。
でも、これからは英語面接ができる人も増えると思うので
履歴書や面接でのアピールも今までのようにはいかないでしょう。
英語面接すれば、英語力もその人の考え方も大体はわかるはずですから。
ですから、この問題もいずれ状況が変わるので問題ではなくなるでしょう。
先生のおっしゃる通り
英語を話すだけだったら、AIで足りてしまうので
簡単な受付や窓口的な業務はAIになっていくんでしょうね。
でも、やっぱりAIではできない人間だからできるコミュニケーションって絶対にあると思うので、そういう場面では必ず思考を伴った英語力が必要ですよね。
そして、最後
・語学はアプリ。元々のスペックを高めてしまえば、語学は後からでも入ってくる。
(思考(脳)の言語と、伝達(音)の言語があり、思考を鍛えておけば語学は後から入ってくる。)
ここはよく議論されるところですし、私以前取り上げたことがある問題です。
「英語は日本語ができてからでも大丈夫」
「日本語ができないうちに英語教育を始めたらどちらも中途半端になる」
など、英語教育不要説はまだまだ根強く、専門家でも賛否が分かれていますよね。
確かに、ある子どものある発達段階において、英語が優位になったり
日本語の発達が遅く見られることもあると思います。
でも、それが大人になってまでもそうなのかというと違う問題ですよね。
違うテレビ番組ですが、ホンマでっかTVの池田先生は小学校入学時にひらがなが書けなかったけど、大学教授になっています。
そして、そういう事例って他にもたくさんあるはずです。
私の息子も、5ヶ月近くまで首は座らないし、離乳食は食べないし、1歳から1歳8ヶ月までつたい歩きしていて、歩き始めたのは1歳8ヶ月だし、今は日本語より英語の発語が多いし…。
一部の人からしたら「ほら見たことか…」「今すぐ英語教育はやめましょう。」
となるかもしれません。
でも、数年後は逆ですよ。「ほら見たことか…」と私が言ってみせましょう。
なぜなら、子どもだから、幼少期だから学べる「語学」ってあるはずなんです。
確かに大人になってから綺麗な発音を身につけたり
バイリンガルになれる人もいるでしょう。
でも、その方が少数派で、実際はできない人の方が多いですよね。
大人になったらわからなくなってしまう「感覚」ってたくさんあって
語学にもその「感覚」は幼児期じゃないと身につかないと思うからです。
その一つに、幼少期の子どもにとって
日本語も英語も「音ゲー」みたいな感じじゃないかなと思うことがあるんです。
赤いものを見て「あか」「red」って聞こえたから、繰り返し言って見たら褒められた。
そしてそれがどんどん2語、3語と増えて文章になる。
DWEでも2歳とか3歳でも絵本を見ながら読める子っていますよね。
でも、その子達は文字を読んで理解しているのではなく、音と絵を覚えていてそれを発語できているんですよね。
「それは、音を暗記しているだけだから意味がない。」と言ってしまえばそれでおしまい。
でも、それはそれでその子の成長段階で必要な脳の働きかもしれないですよね。
だったら「意味のないこと」だなんて本当にそう言えるのでしょうか。
日本語にも日本語だからできる表現や言い回しがあるように
英語だからできる表現、言い回しが沢山あります。
幼い頃から英語に触れることで、英語ならではの表現や言い回しを感覚で覚えられる。
それって、日本語の思考を広げるきっかけになるのでは?と私は思います。
確かに、日本語の表現が豊かな人は英語の表現も豊かになるでしょう。
それは林先生の言うスペックが広ければアプリをいれられると言うお話の通りです。
でも、アプリを標準装備してしまえばできることや興味が増えると考えることもできます。
何度も私も主張してきたことですが、
「英語教育は1日にしてならず」
現在の英語教育がブームで終わるのか、それとも定番、必須となるのか
それはこれからの世の中の変化や、今の子どもたちの教育の成果がどうなるのか
今すぐ「良い」「悪い」の判断をつけずに経過を見守る必要があるでしょう。
私は私と息子のペースで、息子の普段の生活での「好き」や「得意」を見つけ、英語と関連付けしながら英語教育を続けていこうと思います。