いわゆる「モラハラ」とか「パワハラ」と呼ばれる行為が表面化する支配的な人は、相手に「依存」しています。

 相手を卑下しながら、相手に依存しているとはどういうことなのでしょうか?

 それは、「自分の核」を自分で構築することができず、相手との関係性で自分のアイデンティティを構築し、保とうとしているからです。 

 そういった人は他人を巻き込み、頭の中の妄想の世界で、架空の自分像や理想の自分像を育て、強化しようとします。 

 自分の人格を構築する為には他人が必要なので、相手に依存するようになります。

 核となる自己を構築することができず、自己と他者の境界線を飛び越え、お互いに補完し合う関係性になるのです。

 

 そういった場合、周りの人を「一人の人間」としては扱うことはなく、妄想劇場の登場人物として扱います。

 その劇場では自分は主役であり、監督であり、脚本家です。

 ですから、相手が自分の思い通りに動くのが基本であり、そうしないと怒りが湧いてきますし、相手は自分(主役)よりも格下でなければなりません。 

 この場合、他者は「自分より劣った人間」でなければいけないのです。 

 その為、ターゲットを貶める言動をしたり、実際に「お前なんか」と言って洗脳するのです。

 自分が努力して結果を出そうとは夢にも思わず、頭の中で相手が「劣った存在」として認識されれば、それでOKなのです。

 これは閉鎖的な環境、家庭や恋人関係などの親密な関係で起こりやすいことです。

 職場やコミュニティではあからさまに正体を現さず、良い人のフリをしながら、ターゲットが自分より劣った人間であるかのように周りの人から見えるように、巧妙に嘘をついて濡れ衣を着せる場合もあります。

 

 その場合、このような自己愛性パーソナリティ障害の傾向を持つ人と、パズルのピースのようにカッチリハマる相手は、「自尊心の低い人」「心に傷を負った人」です。

 なぜなら、自尊心の高い人や健全な心の人は、こういった傾向のある人の異常さにいち早く気付き、親密な関わりを避けようとするからです。

 それはエネルギーにも現れるので、「引き寄せの法則」から、いわゆる「ご縁」にも影響を及ぼします。

 ですから、恋人や結婚相手を変えても、職場を変えても、いつも同じような人に囲まれたり、同じような人間関係になってしまうのです。

 

 「自尊心の低い人」は、自己愛性パーソナリティ障害の傾向を持つ人にとっては、非常に都合が良い人です。

 なぜなら、顔色を窺い、その人の下に潜り込み、「あなたの方が上ですよ」という事を示すような言動を取ってくれるので、気持ち良い快感を味わう事ができるからです。

 その快感はある意味麻薬を摂取した時のような恍惚感を伴い、万能感を得る事ができるのです。

 

 本人にも周りにも支配従属関係を築いている事に気付かれることなく、事を進めることができる環境は、自己愛性がエスカレートする土壌になります。

 そのため、ターゲットにされた人が気付いた時にはもう遅く、長年の間に築かれた支配従属関係から抜け出す為には「物理的に離れる」しかなくなるのです。

 物理的に離れる時にキッパリ線引きできないのであれば、相手はストーカーのように付きまとってくるかもしれません。

 

 もしターゲットがその人よりも明らかに優れている点(資格や学歴・資産・容姿など)があった場合には、ターゲットを貶めずにはいられなくなります。

 そしてそれはエスカレートしていくでしょう。

 「お局」と呼ばれる人が職場でマイルールを押し付けてきたり、重箱の隅をつつくような指摘をしたり、濡れ衣を着せることで貶めるのはそのためです。

 「能ある鷹は爪を隠す」と言いますが、妬まれる事を恐れて、卑屈に振舞ったり、相手を持ち上げると、一時的には上手く行ったかのように感じることもあるかもしれませんが、相手の態度はどんどんエスカレートしていったり、エネルギーをどんどん奪われて気疲れしてしまうことになりますし、そのせいで病気を発症することさえあります。

 

 あなたは、ありのままの自分で居られる相手を選びますか?

 それとも妬まれる事を恐れて自分で自分を抑圧することでしか一緒に居られない人を選びますか?

 

 自己愛性パーソナリティ障害の傾向を持つ人は、自分は努力することなく、他人を利用することで利益を得ようとするタイプになる傾向があります。

 そのため、他者に物理的に依存することも少なくありません。

 そのタイプの人とパズルのピースのようにカッチリハマる相手は、「人の役に立つことで自分を確立させようとする人」です。

 自分だけでは自分を確立できないので、「人の役に立つ自分」という人物像を創り上げるために、他人を利用するのです。

 「依存したい人」と「依存されたい人」の需要と供給が一致するので、お互いに引き合います。

 

 もちろん本人は、「依存されたい」などとは思っておらず、「人の役に立ちたい」とか「自分は気遣いができる」とか「世話好き」ぐらいにしか思っていません。

 しかし、人を依存させるのに十分な言動を取っているので、結果として人を依存させる温床になってしまうのです。

 お互いに依存し合う状況を「共依存」と言います。

 

 極端な例で言うと、アルコール依存症の夫を「献身的に」支える妻が、働きながら夫を「支え」、お酒を買って渡して、夫がお酒を飲み続けられる環境を維持し、結局夫は肝臓癌で亡くなってしまうという例もあります。

 その妻は本当は自分自身の中にトラウマや苦しみがあり、それに目を向けたくないがために、夫の世話をすることで気を紛らわせます。

 夫がお酒に溺れる一方で、妻は夫の問題を助長するような行動を取るという異常な関係性に溺れているのです。

 

 「自分の問題や責任を相手に負わせようとする人」と「相手の問題にかかりっきりになることで自分の問題から目を背けたい人」この二人がパズルのピースのようにカッチリとハマってしまうのです。

 

 このメカニズムがわからないと、問題のある人から物理的に離れて新たな人間関係を築こうとしても、「もっと上手くやれる」「これまでの相手がおかしかっただけ」と無意識に思いながらも、以前のやり方を引きずることになります。

 

 もしもこれまで、幼少期を含めてこういった酷い人間関係の経験しかない人は、核になる自己(コアセルフ)が確立できず、他者ありきの自分になっていたり、自他の境界が曖昧になるなどの副作用が生じている可能性が高いので、スピリチュアルのワークを行うことをお勧めします。

 

ワーク(ボディ・コアセルフ)

ワーク(ヒーリング・トラウマ・恐怖)

ワーク(防衛術)