引用:リサ・レネイ 高貴な八正道 - アセンション用語集 (ascensionglossary.com)
仏教の八正道は、仏陀の主要な教えの1つであり、仏陀はそれを苦しみ (ドゥッカ) の終わりと自己覚醒の達成に繋がる道であると表現しました。
それは、アセンションサイクルの間にクリスタルスターや宇宙キリスト意識が地球に戻ってくることによって議論され、強調されている宇宙の「一なるものの法則」の法則の原則に基づく基礎全体に非常に似ています。
それは、現象 (又は現実) の本質に対する洞察を発展させ、ネガティブエゴとその貪欲、憎悪、妄想などの負の性質を根絶する為に使用されます。
八正道の最初の要素は、4つの真理を理解することです。
中道とも呼ばれます。
八正道の8つの要素は全て、「正しい(right)」 という単語で始まります。
これは、samyañc (サンスクリット語) 又はsammā (パーリ語) という単語を翻訳したものです。
これらは、完全・一体性・一貫性を意味し、 「完璧」 や 「理想」 の感覚を含む場合もあります。
sammā は「健全」「賢明」「熟練」とも訳されます。
八正道は、ユニティソースフィールドに直接合わせる為に、マインドを鍛錬し、集中力を高める方法を明確にするのに役立つ基本的なガイドラインになりえます。
これは、スピリチュアルなサポートをすぐに体験できるように導く為のクイック マップです。
このガイドラインは、新しく瞑想を始めた人の為に開発された核となる実践であり、上級の瞑想者へと導きます。
最初の三原則:瞑想
1. 正しい努力
2. 正しいマインドフルネス
3. 正しい瞑想
新たに目覚めたばかりのあなたが最初に集中すべきことは、霊的な基盤を築くことです。
霊的な家を作り始めるには、正しい努力 (自分の意志を律し、一貫性を保つこと) 、正しいマインドフルネス (自我を運転席から追い出し、恐怖プログラムをクリアすること) 、正しい瞑想 (その2つをどう達成するか) に焦点を当てた瞑想の実践に取り組むことが大切です。
この最初のステップは通常、人が4次元-5次元-6次元のライトボディ機能内で稼働し、その周波数の度合いを物理的な体に完全に定着させることです。
今人類の大多数はこの周波数レベルにいて、魂に同調したいという一貫した真の願望は、新しいエネルギーの中で迅速に大きな結果をもたらすでしょう。
あなたがライフスタイルとしてこれに取り組むなら、大きな変容エネルギーを得て、与えられた導きと内面の変化を経験するでしょう。
12次元シールドの実践は、瞑想の基礎練習の為の優れたテクニックです。
第二の三原則:倫理的行動
4. 正しい言論
5. 正しい行動
6. 正しい生活
基礎をマスターしたら、次は第二の三原則に進みます。
瞑想の実践に加え、核となる人生の原理として倫理的行動を適用するのです。
あなたがスピリチュアルな進化をするにつれ、倫理的であることはもはや努力することではなく、あなたの全てに自然に組み込まれていきます。
恐れに支配されることがなくなるので、生命力が全ての人に行き渡るような選択ができるようになるのです。
正しい言論(全ての命あるものに思いやりをもって話すこと)、正しい行動(人間の秩序に反応するのではなく、神の秩序に身を委ねること)、正しい生活(恐怖に基づく操作でお金儲けに走るのではなく、内なる調和に基づくこと)を同化させる為の原理を導入します。
これら3つの倫理的行動原則が、あなたにとって何を意味するのかを瞑想したり考えたりすることで、その本質をあなたの人生に顕現させる為の、明確で愛に満ちたサポートを自然に引き寄せることができます。
第三の三原則:叡智
7. 正しい理解
8. 優れた正しい知識
9. 正しい意図
三原則の習得=精神的、感情的、霊的な自由でという正しい解放につながります。
スピリチュアルな通過儀礼が進んでくると、多くの場合このレベルでは、生まれながらのエネルギー的な任務や、源から割り当てられたリーダーシップが、表面に現れ始めます。
この三原則では、他の核となる実践に”叡智”を取り入れていくことです。
すべては「今」という瞬間に存在するので、エネルギーを方向付ける為の努力は必要なく、存在しません。
これまでご紹介した実践は完全に自分のライフスタイルとなっているはずです。
「スピリチュアルである」という意識はほとんど必要なく、神の影響力のある光の範囲を最大限に世界に及ぼすことを学んでいきます。
正しい意図は、神の生ける光に完全に奉仕し、献身することの一部として発達していきます。
そして、かつて自我の恐れや自己欺瞞を生み出していた知覚の誤りを全て解消する為に、正しい理解が明らかにされます。
正しい知識は与えられた賜物であり、真の知識は全ての存在にとって無害な行為であることを含んでいます。
神の意識のない知識は黒魔術であり、世界に痛みと苦しみというカルマの不均衡を生み出すものです。
正しい解放とは、完全で永続的な平安であり、自分の直接的な安全と繋がりが神の源と一つであることを体験することです。
一体であることが自然な状態になります。
もしこれが、あなたのアセンションの旅をサポートする手段として、あなたのプロセスに共鳴すると感じられるなら、八正道の詳細ををご覧ください。
この説法は、大乗仏教では「3 つの高次の修行」と呼ばれます。
つまり、高次の道徳的規律・高次の集中・高次の叡智です。
ここで言う「高次」とは、解脱と悟りに至るこれらの修行が、出家又は菩提心を動機として行われることを意味します。
叡智
「叡智」(prajñā / paññā)は、その準備的な役割で「識別」と訳されることもあり、現実の概念的な理解によって、方向感覚を提供します。
それは、物事をありのままに見る為の、鋭敏な理解力を目覚めさせるためのものです。
後の段階で、道徳的な規律と集中力によってマインドが磨かれ、正しい知識が徐々に生じてくると、優れた正しい視点と正しい意図に到達するでしょう。
正しい視点
正しい視点は「正しい見方」「正しい見通し」「正しい理解」とも訳されます。
ポール・フラーによれば、これはあらゆる見方を超越した視点です。
間違っているか正しいかにかかわらず、いかなる見解にも固執する態度とは異なります。
一線を画した見方なのです。
現代の上座部仏教によれば、それは生命・自然、そして世界をありのままに見る正しい方法です。
それは現実がどのように機能しているかを理解することで、誰かが道を実践し始める理由付けとして機能すします。
人間が存在する理由・苦しみ・病気・老い・死・貪欲・憎しみ、妄想の存在を説明しているものです。
正しい視点は、他の7つの道の要素に方向性と効力を与えます。
それは概念や命題的な知識から始まりますが、正しい集中の実践を通じて、次第に叡智へと変化し、マインドの束縛を取り除くことができるようになるからです。
正しい視点を理解することで、その人はそれに沿った高潔な人生を送るように促されます。
パーリ語の正典と中国の正典では、次のように説明されています。
正しい視点とは何でしょうか?
苦しみに関する知識、苦しみの発生に関する知識、苦しみの消滅に関する知識、苦しみの消滅に至る為の実践方法に関する知識、これを正しい視点といいます。
正しい視点には2種類あります
1.汚れのある視点:
この見方は俗世的です。このような見方はメリットをもたらし、衆生が輪廻の無限サイクルを促進する存在です。
2.汚れのない視点:
この見方は超越的です。
この視点の持ち主は、自己覚醒と輪廻転生からの解脱へと導きます。
正しい視点には様々な面があり、初歩的なものは”信者”に適していますが、より深い理解を必要とするものは修行者に適しています。
通常は、次のような現実を理解することになります。
1.カルマの道徳法則:
体・言葉・マインドによる全ての行為は、カルマの結果(反作用)をもたらします。
健全な行為も不健全な行為も、その行為の性質に応じた結果や作用をもたらします。
それが世界の道徳的プロセスについての正しい見解です。
2.3つの特徴:
生じるものはすべて消滅する(無常)。
精神と体の現象は無常であり、苦しみの原因であって、自分自身ではありません。
3.苦しみ:
誕生、老化、病、死、悲しみ、哀悼、痛み、嘆き、苦しみ、絶望は苦しみです。
欲しいものが手に入らないことも苦しみとなります。
渇望の発生は苦しみの発生の直接の原因であり、渇望の停止は苦しみのを止める直接の方法です。
無知という性質は、苦しみが生じる根本原因であり、この性質をなくすことが、苦しみを止める根本の方法です。
このような正しい視点は、四諦の観点から説明されています。
修行者の為の正しい視点は、Sammādiṭṭhi Sutta(正見経)の中で詳しく説明されており、その中で舎利弗は、「正しい見方は、不浄なものと健全なもの、四つの栄養素、十二のニダーナ、又は三つの汚れを徹底的に理解することによって交互に到達することができる」と説いています。
無知から生じる「誤った見解」は、誤った意図・誤った発言・誤った行動・誤った生活・誤った努力・誤ったマインドフルネス・誤った集中力が前提条件としてあります。
修行者は、誤った見解を捨て、正しい視点に入る為に正しい努力をしなければなりません。
正しいマインドフルネスは、常に正しい視点を保つ為に使用されます。
正しい視点の目的は、混乱・誤解・妄信的思考の大部分を自分の道から取り除くことです。
それは現実を正しく理解する為の手段です。
正しい視点は、独断的な立場としてその見方に固執することなく、柔軟で開かれたマインドで持つべきです。
こうすることによって、その見方は障害ではなく、解放への道となります。
正しい意図
正しい意図とは、「正しい思考」、「正しい決意」、「正しい観念」、「正しい志」、又は「変化しようとする自らの意志の発揮」とも言えます。
この要素において修行者は、間違っていて不道徳であると知っている、自分が知っているあらゆる性質を取り除くよう常に努力しなければなりません。
正しい視点を正しく理解することは、修行者が正しい意図と間違った意図の違いを識別するのに役立ちます。
中国語とパーリ語の正典では、次のように説明されています。
そして正しい決意とは何でしょうか?
放棄、悪意からの自由、無害であると決意すること。
これを正しい決意と呼びます。
これは世俗的なものを放棄し、霊的な道へのより大きなコミットメント、善意、非暴力、無害への取り組みを意味します。
マインドが集中され統一される為には、身体的な行為や言葉の能力が煩悩の道具になるのを防ぐ為に、体や言葉の不健全な行為を控える必要があります。
倫理的な行いは、主に精神的な浄化を促進する為に用いられます。
正しい言論
正しい言論とは、仏教の修行者が自分の言葉を最もよく使う方法をに取り組みます。
パーリ語の典礼では次のように説明されています。
正しい言論とは何でしょうか?
嘘をつかないこと、争いの種になるような言葉を使わないこと、乱暴な言葉を使わないこと、無駄話をしないこと: これを正しい言論といいます。
『サマーニャパラ・スッタ』、『ケヴァッタ・スッタ』、および『クンダ・カンマラプッタ・スッタ』では次のように詳しく説明されています。
偽りの言論を放棄し、真実を語り、真実を堅持し、毅然としていて信頼でき、世を欺くことはない
争いの種になるような言葉を使わないこと
自分が聞いた事をよそで別の人に言って、仲たがいさせるようなことはしないこと。
バラバラになった人々を和解させるか、団結しているる人々を固める為に、調和を生み出すようなことを話す。
乱暴な言葉を使わない
なだめるような言葉を使い、愛情に満ちて心に響くような言葉、礼儀正しく、魅力的で、広く人々に喜ばれるような言葉を話す。
無駄なおしゃべりをしない
その時に合った事を言い、事実に基づいて、目的・規律に沿ったことを話す。
大切にする価値があり、合理的で、一定の境界線を引き、目標につながる言葉を話す
『アバヤ・スッタ』は次のように詳しく述べています
真実の探求者は、他人にとって事実ではないことや虚偽、有益ではないこと、不親切で不快なものであると知っていることの場合それらを口にしない。
又、探求者は事実・真実であると知っていても、他人にとって有益ではなく、不親切で不快なものであると知っている言葉の場合、それを口にしない。
探求者が事実・真実であり、有益であることを知っているが、他人にとっては不親切で不快なものであると知っていることの場合、それを言うのに適切なタイミングを計る。
探求者が、他人にとって事実に反し虚偽で、有益ではなく、しかし、他者を惹きつけることができ、自分が好感を持たれると分かっている場合、それを口にしない。
探求者が、他人にとって事実・真実であるが、有益ではなく、しかし、他者を惹きつけることができ、自分が好感を持たれると分かっている場合、それを口にしない。
探求者が事実・真実であり、有益であり、他者を惹きつけることができ、自分が好感を持たれると分かっている場合、それを言うのに適切なタイミングを察知する。
それはなぜかというと、真の探求者には、生きとし生けるものに対する共感があるから。
いかなる場合であろうと、それが真実ではなく、有益でもなく、言う時期でないものであれば、言うべきではありません。
例えば、仏陀は、自分が教えた目標・道・学問とは無関係の、純粋に形而上学的な性質の質問をされた時、これに従いました。
「宇宙は永遠ですか?」といった質問をされた時、仏陀は「それは前進させない」と答えてその話題を一蹴しました。
(あるいは、「あなたに割り当てられた個人の可能性 (目標) は、宇宙の運命に関する究極の質問への答えによって促進されるものではありません」)
正しい行動
正しい行動は「正しい行為」とも訳されます。
従って、修行者は自らの活動において道徳的に正しく行動し、堕落したり、自分自身や他人に害をもたらすような行動を取らないように、自分自身を規律する必要があります。
中国語やパーリ語の正典では次のように説明されてます。
正しい行動とは何でしょうか?
殺人や命を奪うこと、盗み、不正なセックスや性行為を慎むこと。
これを正しい行動という。
信徒のために、『クンダ・カンマラプッタ・スッタ』は次のように詳しく述べています。
どのようにして、人は身体的行為によって3つの方法で純粋になるのでしょうか?
ある人が生命を奪うことを放棄して、生命を奪うことを断念する場合がある。
その人は、全ての生きとし生けるものの幸福の為に、ナイフを置き、細心の注意を払い、慈悲深く、慈愛に満ちて暮らす。
与えられないものを奪うことを放棄し、与えられないものを受け取ることを控える。
村や原野にある他人のもので、他人から与えられていないものを、泥棒のように盗まない。
官能的な不品行を放棄し、慎むこと。
母親、父親、兄弟、姉妹、親戚、ダンマによって保護されている者、夫のいる者、罰を伴う者、他の男によって花を戴かされた者とも性的関係を持たない。
このように、人は身体的行為によって3つの方法で純粋にされる。
正しい生活
これは修行者が直接か間接的かに関わらず、他の生き物に害を及ぼすような取引や職業に従事するべきではないことを意味する。
中国語やパーリ語ではこのように説明されている。
正しい生活とは何でしょうか?
高貴な者達の弟子が不正な生計を捨て、正しい生計で生活を続ける場合がある
これを正しい生業という
より具体的な解釈としては、
「仕事とキャリアを仏教徒としての生計に統合する必要がある」
「倫理的な生計である」
「正当な手段で得た富」
つまり商取引において正直で倫理的であること、騙したり、嘘をついたり、盗んだりしないことなどが挙げられます。
人々はほとんどの時間を仕事に費やしているので、仕事が自分のマインドやハートにどのような影響を与えるかを見極めることが重要です。
そこで重要なのは、「どうすれば仕事が有意義なものになるのか?スピリチュアルな修行の妨げになるのではなくサポート、つまり自分の認識と優しさを深める場所になれるのか?」ということです。
やってはいけない5種類の仕事
武器に関する事業:武器取引、あらゆる種類の武器や殺傷用具の売買。
人身売買:奴隷売買、売春、子供や大人の売買。
食肉に関する事業:「食肉」とは、生き物を殺した後の死体を指す。
これには食肉用の動物の飼育も含まれる。
酩酊剤に関する事業:酩酊させる飲み物や中毒性の薬物を製造または販売すること。
毒物に関する事業:あらゆる種類の毒物や殺人を目的とした有毒製品の製造又は取引。
集中
集中(「サマーディ」)は、単一の瞑想対象に注意を集中することによって達成される。
これは、直接の経験によって真の知恵を開発する為に必要な冷静さと冷静さをもたらす。
正しい努力
正しい努力とは、「正しい尽力」や「正しい精進」とも訳される。
この要素において、修行者は全ての間違った有害な思考、言葉、行いを放棄する為に持続的な努力をすべきである。
修行者はその代わりに、難しいとかうんざりすると考えずに、思考・言葉・行いにおいて、自分自身や他者にとって善いこと、有益なことを生み出すことに粘り強く取り組むべきである。
中国語でもパーリ語でも、このように説明されている:
僧侶たちよ、正しい努力とは何か?
(i) 僧侶が、まだ生じていない邪悪で未熟な性質を生じさせないようにする為に、願望を生み出し、努力し、持続力を活性化し、自分の意図を支持し、発揮する場合がある。
(ii) 生じてしまった邪悪で未熟な性質を放棄する為に、願望を生み出し、努力し、持続力を活性化し、自分の意図を支持し、発揮する。
(iii) まだ生じていない熟練した特質を生じさせる為に、願望を生み出し、努力し、持続力を活性化し、自分の意図を支持し、発揮する。
(iv)願望を生み出し、努力し、持続力を活性化し、生じた巧みな資質の維持、混乱の防止、増大、豊富、発展、最高潮に向けた意図を維持し、発揮する。
上記の教えは男性の修行者に向けられたものでしたが、女性の為にもなり、男女を問わず信徒が実践できるものです。
上記の正しい努力の4つの段階は、以下を意味する
自分の中にまだ生じていない不善を防ぐ。
自分の中に生じた不善を手放す。
自分の中にまだ生じていない健全なものを生じさせる。
自分の中に生じた健全さを維持する。
正しいマインドフルネス
正しいマインドフルネスとは、「正しい記憶」、「正しい認識」、「正しい注意」とも訳される。
修行者は心身に影響を及ぼす現象に常に注意を払う必要がある。
不注意や忘却によって行動したり発言しないように、注意深く慎重に行動する必要がある。
パーリ語の典礼では次のように説明されています。
正しいマインドフルネスとは何でしょうか。
(i)修行僧が身体そのものに集中し続けること、すなわち、熱心で、自覚的で、注意深く、世間に対する貪欲と苦悩を遠ざけることである。
(ii)修行僧が、感情そのものに集中し続けること。
注意深く、自覚的で、世界に関する貪欲と苦悩を遠ざける。
(iii) マインドそのものに集中し続けること。
熱心で、自覚的で、注意深く、世界に関する貪欲と苦悩を遠ざける。
(iv)精神状態に集中し続けること。
熱心で、自覚的で、注意深く、世界に関する貪欲と苦悩を遠ざける。
これを正しいマインドフルネスと呼びます。
上記の教えは男性の修行者に向けられたものでしたが、女性の為にもなり、男女を問わず信徒が実践できるものです。
マインドフルネスの概念について、菩提は更に次のように説明しています。
正しいマインドフルネスの実践では、マインドは「今」に留まり、オープンで静かで、注意深く、瞬間の出来事を熟考するように訓練される。
全ての判断や解釈は中断されなければならない。
マハ・サティパッタナ・スッタはまた、これらの現象を注意深く観察することによって、その発生と消失、及びダルマの 3 つの特徴を直接経験で識別し始め、それが洞察力と、冷静さ、執着のなさ、解放の質の発生につながると教えています。
正しい集中力
サンスクリット語とパーリ語の名前が示すように、正しい集中とは、集中(サマーディ)の実践である。
正しい瞑想とも呼ばれる。
従って実践者は、完全な集中力と瞑想的な没入状態に達するまで、注意の対象に集中します。
伝統的に、サマーディの実践は、呼吸のマインドフルネス、視覚的なオブジェクト、フレーズの繰り返しを通じて発展させることができます。
ジャーナは、サマーディに入る為に 5 つの障害を抑制するために使用されます。
ジャーナは、洞察力を養い、それを使って現象の本質を直接認識して調べることで、知恵を開発する為に使用されるツールです。
これは煩悩を断ち切り、ダンマを悟り、最終的には自己の目覚めにつながります。
正しい集中力を実践する際、実践者は自分の正しい視点を調査し、検証する必要があります。
その過程で正しい知識が生まれ、その後に正しい解放が続きます。
パーリ語の典礼では次のように説明されています。
そして、正しい集中とは何でしょうか?
(i) ここで僧侶は、感覚的欲望から距離を置き、不健全な思考から距離を置き、最初の瞑想的吸収 [ジャーナ] に達し、そこに留まる。
ジャーナは無執着から生まれ、応用された思考、持続的な思考、喜び、至福を伴う。
(ii) 応用的で持続的な思考を和らげることによって、第二ジャーナに達し、それを維持する。
第二ジャーナとは内なる静けさであり、(マインドの)統一であり、応用的で持続的な思考が無く、喜びと至福を持っている。
(iii) 喜びから離れることによって、人は平静に、マインドフルに、明晰な理解力をもって住み、肉体の至福を享受し、高貴な者達が「平静、マインドフルネス、至福の中に住む」と呼ぶ第三ジャーナに達し、そこに留まる。
(iv) 至福と苦しみを放棄することによって、喜びと悲しみが消滅することにより、第四ジャーナに達し、そこに留まる。
ジャーナは苦しみでも至福でもなく、平静の純粋さ、つまりマインドフルネスです。
これを正しい集中といいます。
上記の教えは男性の修行者に向けられたものでしたが、女性の為にもなり、男女を問わず信徒が実践できるものです。
パーリ語と中国語の正典によれば、正しい集中は先行する道要因の発展に依存しています。
「さて、僧侶たちよ、高貴な正しい集中とは、その支えと必要な条件を備えたものであろうか。正しい見解、正しい決意、正しい言葉、正しい行動、正しい生活、正しい努力、正しい心、これら7つの要素を備えた一途な心は、その支えと必要な条件を備えた高貴な正しい集中と呼ばれる。」
後天的要因
中国とパーリ語の聖典に登場する『Mahācattārīsaka Sutta』の中で、仏陀は、聖なる八正道の修煉は、正しい知識又は洞察力 (sammā-ñāṇa) と正しい解脱、又は解放という 2 つの更なる要素の開発に繋がると説明しています。(サンマーヴィムッティ)
これら 2 つの要素は知恵 (paññā) のカテゴリーに分類されます。
正しい知識と正しい解放
正しい知識とは、物事を、見た目や実践者が望んでいる通りではなく、直接の経験によって、実際にあるがままに見ることです。
正しい知識の結果が 10 番目の要素、つまり正しい解放です。
これら 2 つの要素は、聖なる八正道を正しく実践した結果であり、正しい集中の実践中に生じます。
最初に生まれるのは正しい知識です。
ここで究極の現実に対する深い洞察が生まれます。
最後に起こるのは正しい解脱です。
ここで自己の目覚めが起こり、実践者は実践の頂点に達します。