冬季オリンピック
日本人選手の活躍に
熱くなっていた日々が過ぎて
寂しくなりました。
パラリンピックにも
声援を送りたいです!
地球温暖化なんてことばが
まだ無かった昭和の三十年代
富士山の麓の多くのちびっこは
真っ赤なほっぺたをして、
寒い冬が来るのを待ちわびていた。
田んぼが凍るよ
富士五湖が凍るよ
そして、
校舎の中庭に天然のスケートリンクが出現する!
小学校の用務員のおじちゃんが
夕方水を張ってくれた手作りリンク
休み時間や昼休みには
百人以上の生徒でごった返す
その頃はスケート靴なんて
めったに買えない
順番に貸し出される下駄スケート
それは
五、六年生の特権
木の下駄にスケートの歯を付けた
これも先生方や用務員さんの手作り
上履きに紐で固定して
超不安定だけど、なんとか氷に乗る
滑る、
転ぶ、
ぶつかる
一番楽しい時間だった
尾てい骨を打撲
足をひねって捻挫
氷に頭を打って脳しんとう
そんなのは日常茶飯事で
保健室にはよっぽどでなければ
お世話にならない。
吐き気をもようしながら
午後の授業を受けていた
かあしゃんは
お年玉を貯めて六年生で
フィギュアスケートにデビュー
しかし、当時手に入るスケート靴は
固くて足に食い込む
白い靴が血で赤くなっても
嬉しいスケート靴!!
その頃はスケート場も
いくつかあり、
高校の冬の体育の時間は
スケートのまとめとりだった
フィギュアスケートの試験は
その意味の通り、
リンクに形、
すなわちサークルを描くのが課題。
みんな、それが精一杯。
ちょっとジャンプ、やっと一回転で
いい点をもらえたんだ。
今のフィギュアスケートの凄いこと!
アンビリーバブル
昭和のちびっこ
暗くなるまで、
みんなで夢中になって遊んでた、
田んぼリンクも
湖リンクも
中庭リンクも
昭和も遠くなりにけり~
最後まで読んでいただき、
有り難うございました
追記
大事に思っていた方々が
ブログを閉じられました。
寂しい限りです。
お元気でお過ごしください。