3月半ばから5月1日まで放射線治療が行われた。

成人の標準治療が確立されていないので小児と同様の全脳全脊髄照射+局所照射を行った。
一緒に抗がん剤(オンコビン)を週に1回打っていた。

副反応としては
倦怠感、頭痛、発熱、嘔吐、手先のしびれ(おそらくオンコビンによるもの)
放射線2週目あたりから脱毛。
1日中体調が悪い日もあれば日中は体調いいけど夜悪化するみたいな日があった。

最初の2日ほど入院してあとは通院で治療を受けていた。
休職していたので家では洗濯、料理をやってくれてた!(本当にありがたかったにっこり)

局所照射になったら副反応も少し軽くなっていた。

脱毛がはじまって髪が薄くなったので坊主に
したかったがマスクを作っているので髪を切るのは
ダメらしくベビーヘアー(と私たちは呼んでた)で過ごしていた。
それもかわいかったけどね!

彼はもともと肥満体形(標準体重+10キロほど)だったが手術と放射線で10キロほど痩せた。


抗がん剤まで1ヶ月ほどあるので
体力づくり!美味しいもの食べる!楽しいことする!を心がけて生活していく!
後悔していることはセカンドオピニオンを受けなかったことだ。

紹介してもらった都内の大病院では「手術しないと良・悪性わからないが治療でコントロール出来る範囲と前向きに捉えている」と言われていた。

良・悪性どっちか分からないならセカンドオピニオンを受けることを提案してみたが、彼は「ここの先生はいい先生だし、どのお医者さんが手術しても変わらない」と言って受けなかった。

水頭症を伴っていて早く手術が必要だと言われていたし、私は彼女であって家族ではない。私も癌についてあまり知識もなく強く勧めることはしなかった。

手術はうまくいって残存なしだったが病理診断の結果は髄芽腫。小児がんで成人でなることは稀である。
症例の多い病院へ転院になった。

結果が分かってから治療が始まるまで私たちはとても不安だった。
早く治療した方がいい、でもすぐに転院先が見つからない。もやもやした気持ちで過ごすことになった。

転院先でも再病理検査、いろいろな追加検査。
もし時間病院で手術していれば、術後すぐ治療を出来たのにと考えてしまうこともあった。

結果的に彼の場合は放射線治療開始の期間は
影響を与えないとお医者さんに言われて安心する
ことができたがそれがわかるまではつらかった、、、





少し間が空いてしまいました。。。

彼が一時退院してたのもあり、更新するタイミングを逃してました、、

この間にあったことと同じ病気(成人髄芽腫)
になった方へ参考になるか分かりませんが
私が調べたことと感じたことを記載しておきます。

・小脳手術後の後遺症としてはをしたので歩くときにふらつき、嘔吐あり。
1ヶ月経過したが嘔吐は1日1回程度ある。ふらつきについては少し心配になるが1人で外出できるようになる。(家から病院まで電車で行ける)

・術後から放射線開始までちょうど6週間(転院があり開始が遅くなった)

・がんセンターの先生曰く
放射線開始は早いほうがいいのは確かだが、成人で現状播種・転移なし、残存なしだった場合31日でも6週間でも優位な差はないと考えてる

・標準治療がないので小児と同じ治療を受ける

ここから下は成人髄芽腫で海外の文献を調べて、私がまとめたものです。
グーグル翻訳が間違っていて、違う解釈をしている可能性大!
ネットに書いてあることは安易に信じない!という精神で見てください。。。

・放射線治療は予後良好に関係がある。
・サブグループの予後は小児とは異なる(成人のエビデンスが不足している)
・約4割が再発。再発した場合は予後があまりよくない
・晩期再発が多い。
・術後放射線開始4~6週間以内と6週間以上では4~6週間以内に開始した方が予後がいい

まとめるとだいたいこんな感じ。色々なデータを見すぎて逆にこんがらがってる。
生命率とかも色々記載あったけど、先生からもともと言われた通り5年60%、10年50%ぐらいかと思われる。(海外の文献はもう少し高かったが、、、)

本当に成人のデータが少なすぎるよ。。
成人がなる確率は100万に1人くらいの確率らしい。。。

まあ、でもデータを見たからって彼がどうなるかはわからないので調べるには一旦やめます!

病気のこと、治療や病院のことを調べるのは大事です。
それで後悔してることもあります(次回書きますが)

私は調べすぎてドツボにハマってました。。
私は仕事中も電車も家帰ってからもずっと調べてました。
ほどほどに調べるのが難しいですね。。
手術は約10時間ほどだった。
やはり全ての腫瘍を摘出することは難しかったようで神経付近の腫瘍は
残ってしまったようだ。それでもほとんど取りきることができた。

術後2日経って面会したがそこには別人のような彼がいた。
嘔吐とめまいで座っているだけでも辛く、面会は10分ほどで終了した。

これから普通に歩けるのだろうか。普通に過ごすことができるのだろうか。
不安はつきなかったが術後6日ほどすると吐き気もおさまったようだ。
みるみる回復していき、1週間ほどで1人で歩けるようになっていた。
ただ複視が治らない。これに関してはお医者さんからももしかしたら一生残るかも
しれないと言われていた。(現状、術後4週間経ったか状況は改善されているがよくなってない)

手術当日。

私は彼女ではあるけど家族ではない。

手術室の見送りも終わった連絡も直接病院から

もらうことができない。

彼氏の家族とは会ったことがなく(2月に会う予定だった)

病院の面会で初対面。


とりあえず彼氏の妹と連絡先を交換し、

手術が終わったら連絡をもらうことにした。


手術室へ行く時間は8時前と聞いていた。

朝、5時過ぎから起きてラインをしていた。


彼は当日朝6時から飲食が禁止だった。

水が飲めないのが辛く、唾で我慢してたそうえーん

入院から手術まで1週間ほどあった。

その間に色々な検査をしていたようだ。

 

実は彼氏が病気になっていなければ1月末に私の両親にあいさつに来る予定だった。

もちろん病気が発覚して中止になった。。。

彼が入院してはじめての土日、私は地元へ帰省した。

両親が気を遣っていろんなところへ連れ出してくれたし

彼のために祈祷にも行った。

 

結局私たちにできることは祈ることしかないって両親に言われた。

 

こういう時、両親のありがたみを感じるし、家族の大切さを感じる。

 

彼と私は家族になれるのか。いつまで一緒にいれるのか。

未来を想像すると不安になって、いろいろ調べて不安になって負のループから

抜け出せなくなる。

 

「私に幸せになってほしいから自分の人生にできる限り関わってほしくない。未来がない」

「一緒にいてもこれから先、私が後悔するかもしれない」と病気が発覚した彼に言われた。

 

私の幸せってなんだろう。。。

 

 

彼氏が病気になって、全く仕事が手につかない。

 

私の家系はたぶん長寿家系で祖父母はどちらも元気に過ごしていて

大きな病気になっていない。ひいばあちゃんは100歳まで生きていた。

脳腫瘍についても全くわからないし周りに癌になった方もいなかった。

治療についても全く分からない。

 

分からないことが多すぎて仕事もそっちのけで調べていた。

調べては不安になって仕事中なのに泣いていた。

 

この時点では病名もわかっていないので彼氏から聞いたわずかな情報で

血管芽腫だったらいいなとかこれじゃなければいいなとか1日中考えていた。

 

 

 

私:アラサー事務員、彼氏より2個年上

彼氏:会社員

 

彼の病気が発覚する2か月ぐらい前から結婚前提の同棲を始めたばかりだった。

 

やっと部屋も完成して2人暮らしのリズムができたところで入院。。。

 

私は1人暮らし歴10年だが彼のいない広い部屋で1人で生活するのはさみしい。

2022年12月頃

正確な日にちは覚えていないが朝、嘔吐するようになる。

1度近くの総合病院を受診。コロナの後遺症で三半規管がおかしくなっていると言われる。

薬をもらい一時は症状が緩和。

 

2023年前半

朝の嘔吐は時々あった。当時アイコスを吸っていたが私がタバコ嫌いなため禁煙させる。

禁煙後、朝の嘔吐が減る。嘔吐はタバコのせいだったと思い込む。

 

2023年12月末

彼氏が自分の症状(朝の嘔吐のこと)を友達の医者に相談する。

すぐに病院に行くことを進められる。

 

2024.1月中旬土曜日

再度近くの総合病院へ。首あたりの触診は異常なし。当日はMRI検査ができなかったので2日後の月曜日に検査。

脳の断面に腫瘍があることが発覚。詳しい専門の医者を紹介される。

翌日T病院へ。小脳に3-4センチの腫瘍があることがわかる。

この時点で良性か悪性かは不明。手術してみないとわからないと言われる。

ただ腫瘍のある位置がよくない(髄液をふさぐみたいなことを言ってたが気が動転して覚えてない)ので

早く手術したほうがいいとのことで翌日から入院。

はじめてブログを投稿します。

髄芽腫になったパートナーとの出来事を綴っていこうと思います。

 

成人での症例が少なかったので同じ境遇の方と情報共有できれば幸いです。