こんにちは。
まるがお親子のぽんきち母です。

今日は、すごく面白かった本のご紹介です。





これです。


私はちきりんさんが大好きなので
「読みたい!」と思った瞬間にアマゾンを開きましたが
紙の本がなくなっていたので
kindleで買いました。


楽天には、紙の本もあるみたいです。
悩みどころと逃げどころ 小学館新書 / ちきりん 【新書】

¥842
楽天

ちきりんさんは、社会派ブロガー。
chikirinの日記」の書き手さんです。
私はちきりんさんが大好きなので、ちきりんさんのほとんどの本を読んでいるんじゃないかしら。


梅原大吾さんは、ギネスにも乗った世界一のプロゲーマーです。
他の著作も拝読しましたが、熱いです。





生きてきた世界もなにもかも違うお二人の議論が本当に面白いのです。
全く意見の違う方同士の議論は、すごいですね。
違う意見に耳をかたむけることで、
自分の意見も深くなっていくんですね。
互いに掘り下げ合うやりとりは、
本を見ているだけの私にも刺激になりました。

同時に、ちきりんさんの話の引き出し方にもうなりました。
人の話を上手に聞けない協会の会員として、非常に勉強になりましたね!




****************

この本は、なんと学校教育について意見を戦わせています。


ちきりんさんと、梅原さんは、本当に全く意見が違うのですが、
「学校的価値観を否定している」というところで同じ。


学校的な価値観は、
たとえば、文武両道で、リーダーシップがあり
いろんなものを身につけるために努力できる人がよい、とする価値観でしょうか。


一見、素晴らしいように見える価値観なのですが、
なぜいけないのでしょうか?

それは、
この価値観だと
「なぜ勉強するのか」
「なぜスポーツをするのか」
「なぜ、係活動をするのか」
「なぜ、学校行事があるのか」など、様々なことについて
根本的な疑問を持たずに、
学校が敷いたレールの上をひた走る(=努力する)ことがすばらしい、ということになるからなのです。


でも、それだと、
肝心なことには全く疑問を持たずに、
決まったレールの上だけしか走ることのできない人間が出来上がります。



そのことに気づいて、
「ああ…これ、私だ…」と
猛烈に恥ずかしくなりました。

恥ずかしくって、穴があったら入る勢いです。



************

私自身は、こんな学校的な価値観に全身染まって
何も考えないで生きてきました。
まさに、ちきりんさんが危惧するとおりの大人になってしまいました。



私は、北海道のいち地方の出身なのですが、
その小さな地域の中では
小器用だったようで、割と勉強ができたのです。


残念ながら、スポーツやその他の面では
もう完全にポンコツな、なーんにも考えていない小中高生でした^^;


そんなに勉強には苦労せずにいきましたが、
高校2年生くらいのときに、ようやく気づきました。

「あれ。数学、全然わかんない」

いやね、ほんとにわかんないんです。
微分積分とかベクトルとか複素数平面とかいうやつ。(名前しか覚えていないです)
でも、当時通いたいと思っていた大学に入るのには
絶対に数学が必要でした。
しかし、私の能力と限られた時間では、すべてを理解して進むのは難しそうでした。

そこで私は決めたのです。
「全然わかんないから、やり方だけを覚えよう」

というわけで、本質的なことは置いておいて、
公式と、解き方とパターンだけを頭につっこんで
無事に地方の国立大学に入学しました。


そして、数学は光の速さで忘れました。




そんなわけで、
「とにかく、何も考えないようにしよう。やり方だけ覚えよう」という方式で
大学に滑り込んだ私は
まわりの友人たちがすごいことに驚きました^^

みんな、ちゃんと自分の頭でいろんなことを考え抜いて、
必要なところは調べ、
自分の意見を言っているのです。


自分の意見そのものがない私には
輝いて見えましたねー。


「今日のおやつは何をたべよう」とか
しょうもないことしか考えていなかった私とはえらい違いです。



それまで、小器用だったので、
いろんなことが何とかなってきていたのですが、
根本的な疑問を持てないこと、
「問い」を立てられないことが
今でも私の中で大きな問題になっています。




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(アマゾンには、kindleならあるみたいですよ)


***********

梅原さんとちきりんさんは、全く違う意見をお持ちですが
お二人に共通するすごさは
とことんまで自分の頭で考え抜いて。
自分で「問い」を立てられること。


学校的価値観に囚われすぎていると、
要は
「考えなくていいんだから、とにかくレールの上を走りなさい(=努力しなさい)」と言われているのと同じです。
そうなると、やみくもに努力をするだけで
自分で問いをたてられなくなる。



ぬぼーっとしていた中高生くらいの自分に
「目をさませ!」とぐりぐりしてやりたいですね!
いや、今からでも遅くないと信じたいですね!



***************



ちきりんさんは、
「学校は、不利な人をより不利にする場所」とおっしゃっていて
「ああ、ほんとにそうなんですよ」と心が傷む私です。


学校で有利な人って、
さきほども言いましたが
「学業優秀、スポーツ万能、リーダーシップがあり明るく元気」みたいな人です。
いますよね!ときどき!


で、そうではない不利な人は、ますます不利なところに追いやられていく感じ。



有利に立っていると、
その不利がわからないんです。

「がんばればいいのに、なんで勉強しないの?」とか思っちゃうんです。
なんにも考えていないやつが!


あながち有利なポジションにいると、
「なぜ、勉強をするのか」
「なぜ、スポーツをするのか」
「なぜ、係活動をするのか」なんて考えないですよね。
敷かれたレールの上を走るのは快適だからです。
石ころを避ける必要もないし、
危ないときには信号だってついています。


でも、いちど不利になると、つらいんです。



不利な人も、
「勉強が嫌いだけど、いいじゃない」
「スポーツが嫌いだけれど、いいじゃない」
「カリスマ性がないけど、いいじゃない」
「学校行事が嫌いで、いいじゃない」
と、すべてをふんわり受け入れて
「それでもあなたはすばらしい」とまるごと認める場所になってほしいです。


不利な人を伸ばすために、特別支援があると思いますが
とかく、途中から特別支援を受けるようになったりすると
「ドロップアウト」と思われる価値感はほんとにやめてほしい。


障害があろうとなかろうと、
得意なことがあろうとなかろうと、
「このライン以上にできるようにならないとだめだ」
「できないお前はだめなやつだ」
「ドロップアウトしたな」
じゃなくて、

「できないこととできることを自分でわかって」
「できることを伸ばし」
「どうしてもできないことは人の力も借りて」
「自分の頭で考え、道を選んで、道がなかったら道を作って」
「たのしく生きる」
ほうが、私は好きだな。





**************


「これがやりたい」と強い意志と天性の才能があった梅原さん、
マルチプレイヤーなちきりんさん。
「これが!」という道があった梅原さんのほうが
進んでいく過程で苦悩し、もがいてきたところが興味深かったです。




そして、私は親として
「学校的価値観」を、
ものすごい勢いでポッキーとトッポに押し付けていたなあと
猛烈に反省しているところです!




何回か読んだら、また味わいが変わりそう。
そんな、「悩みどころと逃げどころ」でした。


悩みどころと逃げどころ

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