相変わらず、私は切迫早産気味で、「なるべく安静」を医師から言われていた。

もちろん多動で、夜もなかなか寝ない長男キマル君だったけど、
通報されてからは、どんなにイライラしても私は怒鳴るのを我慢した。



家族が増えるので、2DKのアパートでは狭すぎる。

当時住んでたマンションより、かなり広いマンションを買い、引っ越した。


引っ越して1ヶ月もしないうちに、私は切迫早産の為に入院した。

いつ入院してもおかしくなかったが、もう限界。

31wの頃だった。


入院してキマル君と離れると、
毎日毎日あんなに大変だったのに、
会いたくてしょうがなくて、写真を見ては泣いていた。

スマホの待ち受け画面もキマル君だったが、見る度に泣けてくるのでキマル君ではない写真にしていた。

それくらいキマル君に会いたかった。


キマル君は、他動で奇声もあげるから、私の面会には一度も来させなかった。

他の患者さんに迷惑がかかると思ったから。



私は、ウテメリンの点滴を24H繋いだまま、寝たきりで5週間を過ごした。

入院は辛かったけど、ご飯はすごく美味しい病院だったのが救いで、

寝てるだけでご飯が出てくるなんて今考えたら天国だ。


妊娠36wが無事にきて、主人が迎えに来てくれて一緒に退院した。




里帰り出産なので、私は退院するとその足で実家に帰った。

キマル君も実家で私を迎えてくれると思っていた。


1ヶ月以上も会えなかったキマル君。


写真や動画は主人から送ってもらっていたが、実際に会うのとは全然違う。

キマル君に会いたい。


「ただいま!」

と、言いながら、ワクワクしながら私はスマホの動画を撮っていた。

キマル君の反応が見たくて。


私は先頭で玄関を上がり、キマル君が出迎えたものの、後ろの主人を見ている。

一瞬私を見て、微笑んだようにも見えたが、主人の元に近寄り、
ダウンジャケットのファーを触り始めた。



「ビックリしてるね!」

と、会話する映像がスマホに残っている。

私に近寄ってくることはなかった。


キマル君は、母親のことを完全に忘れてた。


というより、生まれてから一度も母親に依存することはなかったし、
下手したら母親と思ってくれてることはなかったかもしてないし、
ただの同居人とか、近くにるおばさんとしか思ってなかったと、

今では思う。

キマル君2歳の頃。

2年間私は母親ではなかったのかな。



ただ、私が退院してからは、私が側にいないと泣くようになった。(特に夜)