あれから2年・・・
もうすぐ東日本大震災の起こった時間になります
そのときわたしは コーヒーを飲みながら
翌日中学校を卒業する1号の卒業アルバムめくり
そして毎日の楽しみであった 韓国ドラマを見ていました
地震が起きる2分前 1号のお友達が1号を迎えに来て
ファミレスに行ってくるね と出かけていきました
ふつうに見送り またドラマを見始めたわたし
14時46分 突然の大きな揺れに驚いて
とっさに玄関先に向かいました
立っていることもできず 玄関のドアにつかまっていました
1号とお友達が 慌てて戻ってきて
3人でドアにつかまり 長い時間の揺れが収まるのを待ちました
でも なかなか揺れは収まらず
本震とも思わせるような 大きな余震が次々やってきて
一体なにが起こっているのか わからない状態でした
家の中に入りすぐにテーブルを見ました
1号のアルバムが コーヒーで汚れたのではないかと心配だったのです
コーヒーはこぼれることもなく アルバムは無事でした
そして 改めて家の中を見渡すと
あんなに重たいピアノが かなり移動されていて
本棚は倒れ 食器棚は倒れることはなかったのですが 食器がめちゃくちゃ
まだ揺れが続いています 今度は2号が心配になり
雪の降る中 車で学校まで 2号を迎えに行きました
雪が降っているのに 短パンのジャージ姿で ブルブル震えている2号
学校の先生やお友達と一緒だったので いくらか気は紛れていたようです
家に帰ると もうすでに停電になっていて
ロウソクや乾電池 食料品を買いに近くのスーパーへ
スーパーの中は ほとんど空っぽ状態になっていました
そして 夕方になり 連絡の取れていなかった夫が無事に帰宅 顔を見て安心しました
家族がバラバラでいることが こんなにも不安になることなんだと実感しました
夜になりホッカイロを貼ったり 毛布にくるまりロウソクを立てて
ラジオを聴くと 隣の区で「200人の遺体があります」との報道
どういうこと? どうして200人も?
全く情報がないので 何が何だかわからない状況でした
まさか あんなに大きな津波があったとは・・・
それを知ったのは 翌日でした
翌日からは また大変な日々で 給水所へ毎日水を汲みに通い
食料品を探し求め どこまでも歩いて移動
ガソリンがないので 車が使えないのです
どうしてこんなことになったんだろうね と子ども達と話ながら歩き続け
普段何気なく生活している毎日が どれだけありがたいことなのか
身をもって知ることができました
数日後 さらにショックな知らせが入りました
やっと連絡の取れた 浜通りに住んでいる夫の伯母家族
家は流されてしまい 跡形もなくなってしまったとのこと
夫のいとこ夫婦と高校を卒業したばかりの息子さんが 津波の犠牲になったこと
信じられない気持ちでいっぱいでした
2年経った今でも 奥さんは見つかっていません
忘れたいけど 忘れちゃいけない記憶
たくさんの犠牲者が出た 東日本大震災
日本がひとつになった出来事でもありました
まだまだ 復興の途中です
いま わたしたちにできること それが何なのかを考えながら
これからの日々を大切に過ごしていきたい思います
もうすぐ東日本大震災の起こった時間になります
そのときわたしは コーヒーを飲みながら
翌日中学校を卒業する1号の卒業アルバムめくり
そして毎日の楽しみであった 韓国ドラマを見ていました
地震が起きる2分前 1号のお友達が1号を迎えに来て
ファミレスに行ってくるね と出かけていきました
ふつうに見送り またドラマを見始めたわたし
14時46分 突然の大きな揺れに驚いて
とっさに玄関先に向かいました
立っていることもできず 玄関のドアにつかまっていました
1号とお友達が 慌てて戻ってきて
3人でドアにつかまり 長い時間の揺れが収まるのを待ちました
でも なかなか揺れは収まらず
本震とも思わせるような 大きな余震が次々やってきて
一体なにが起こっているのか わからない状態でした
家の中に入りすぐにテーブルを見ました
1号のアルバムが コーヒーで汚れたのではないかと心配だったのです
コーヒーはこぼれることもなく アルバムは無事でした
そして 改めて家の中を見渡すと
あんなに重たいピアノが かなり移動されていて
本棚は倒れ 食器棚は倒れることはなかったのですが 食器がめちゃくちゃ
まだ揺れが続いています 今度は2号が心配になり
雪の降る中 車で学校まで 2号を迎えに行きました
雪が降っているのに 短パンのジャージ姿で ブルブル震えている2号
学校の先生やお友達と一緒だったので いくらか気は紛れていたようです
家に帰ると もうすでに停電になっていて
ロウソクや乾電池 食料品を買いに近くのスーパーへ
スーパーの中は ほとんど空っぽ状態になっていました
そして 夕方になり 連絡の取れていなかった夫が無事に帰宅 顔を見て安心しました
家族がバラバラでいることが こんなにも不安になることなんだと実感しました
夜になりホッカイロを貼ったり 毛布にくるまりロウソクを立てて
ラジオを聴くと 隣の区で「200人の遺体があります」との報道
どういうこと? どうして200人も?
全く情報がないので 何が何だかわからない状況でした
まさか あんなに大きな津波があったとは・・・
それを知ったのは 翌日でした
翌日からは また大変な日々で 給水所へ毎日水を汲みに通い
食料品を探し求め どこまでも歩いて移動
ガソリンがないので 車が使えないのです
どうしてこんなことになったんだろうね と子ども達と話ながら歩き続け
普段何気なく生活している毎日が どれだけありがたいことなのか
身をもって知ることができました
数日後 さらにショックな知らせが入りました
やっと連絡の取れた 浜通りに住んでいる夫の伯母家族
家は流されてしまい 跡形もなくなってしまったとのこと
夫のいとこ夫婦と高校を卒業したばかりの息子さんが 津波の犠牲になったこと
信じられない気持ちでいっぱいでした
2年経った今でも 奥さんは見つかっていません
忘れたいけど 忘れちゃいけない記憶
たくさんの犠牲者が出た 東日本大震災
日本がひとつになった出来事でもありました
まだまだ 復興の途中です
いま わたしたちにできること それが何なのかを考えながら
これからの日々を大切に過ごしていきたい思います