やはり、自宅のベッドで寝られるのは幸せだ。

4連休までもう少しだ。

 

 

「寝ずの番」43


龍平は慌てて菊の間に戻ると新しい線香に火を灯した。
勢い良く立ち昇る線香の煙が
美しい線を描いて天井に昇って行く様子を龍平は暫し見とれていた。
すると新聞配達のバイク音が微かに聞こえて来た。
夜明けは近いのだ。
窓の直ぐ外で
東の空が白みかけているのを一羽の鴉が鳴きながら龍平に知らせた。
龍平はふと、良庵がぽりと言った

 

「魂の絶対数は変わらない。」と言う説を思い出した。

良庵は「魂は死なない。そして新しく生まれる魂は無い。」と言ったのだ。
「だが肉体は死に、肉体は生まれる。」と。

 

こんな夜明けに、
何処かでまた新しい命が誕生しているのに違いない。
そう思うと龍平は言い知れぬ感動で胸が震え始めるのを感じた。
その感動の源は、源一郎との会話にあった。
あれは夢では無かった。自分は確かに源一郎と逢ったのだ。
その確たる自覚から来る胸の震えだった。
それは、この世には
魂と言う摩訶不思議な物が確かに実在するのだと言う
揺るぎないのない確信にも繋がった。
龍平は光を閉ざしていた部屋のカーテンを全開した。
すると遠くの山の頂から朝日が昇り始めた。
龍平は、早く俊一と会ってみたい強い衝動に駆られた。
狐目の山科は午前8時前にホールに姿を現した。
「初めての寝ずの番はどうでしたか。」

退屈しのぎに龍平がホールのソファーでくつろいでいると
山科が笑顔で話しかけて来た。

笑うと山科の目からは狐に似た眼差しが消えて、愛想が良かった。
「はい。お陰さまで無事任務を遂行できそうです。」
龍平も笑顔でかえした。
「先ほど、私の携帯電話に連絡を頂きまして、
あとしばらくで息子さんがお見えになるそうです。」
「そうでしたか。」それを聞いて龍平は心が躍る思いがした。
「岡室さん、
よろしかったらマネージャー室で珈琲でもいかがですか?」
意外な事に山科が龍平を誘った。
龍平は少し戸惑う思いがしたが、
「有難うございます。是非ご一緒させてください。」
と頭を下げた。
山科はマネージャー室に入ると
珈琲の豆を挽いて本格的な珈琲を淹れてくれた。
そして突然、口に煙草を咥えた。
「兄に見つかると叱られるんですがね。
ですが珈琲と煙草はセットですよね。」
と言いながら憎めない笑顔を作った。
「兄?」
「あ。兄が社長なんです。」
山科がさらりと言った。
と、その時、ホール玄関のインターホンが鳴った。
鳴らしたのは俊一だった。
慌てて飛び出した山科が暫くすると
俊一を伴ってマネージャー室に姿を現した。
「小宮さん、こちらがお父様のお付き沿いをして頂いた室岡さんです。
室岡さん、こちらが小宮俊一さんです。
東京から夜行バスを飛ばして今到着されました。」
互いに慇懃なお辞儀を交わしながら龍平は
全身に鳥肌が立っている自分を感じた。
やはり、彼の名前は俊一である。
それはつまり、昨夜夢で現れた老人は、
谷原源一郎その人だった事を意味している。
つまり、あれは夢ではなかっと言う事だ。
「ではご一緒に珈琲でも頂きましょう。」
淹れたての珈琲を味わいながら山科は
俊一と社交辞令的なたわいのない会話を始めた。
だが、龍平の心中はそれどころではなかった。
龍平は心の中の穏やかざる波紋の広がりと入れ替わりに込み上げて来た
どこか怯えに似た不安と闘っていた。