時々狂った様に激しく暴れる雨粒が窓ガラスを叩く。
まだ連続勤務は続いている。
老人は正直疲れている。
自業自得の人生はまだ辛うじて続いているのだ。
 
 
「寝ずの番」40
 
「嫁と息子は、会社と財産を全て取り上げて、
彼を丸裸にして老人ホームへ押し込めました。
あの二人はそれっきり顔を出した事などありません。」
老人の話に龍平は思わず頭を垂れた。
聞けば源一郎は可哀想な晩年だったのだ。
それに比べて、例え妾腹では有っても、
父の逝去の報を聞くや直ぐに東京から駆け付けて来ると言う俊一は
男気があると龍平は思った。
「ですから彼は俊一には、何もしてやれなかったんです。」
老人はそう言うとちらっと源一郎の遺影に目を向けた後、
嗚咽を堪えながらまたハンカチで目頭を強く押さえた。
「実は今日私は、貴方にお願いが有って来ました。」
老人は充血した赤い目で龍平の顔を真っ直ぐに見ながら言った。
龍平も老人の赤い目を見た。
「実は、俊一が来たら伝えて欲しい事が有るのです。」
「え?」と龍平は思わずの口走った。
「貴方は何処かへ行かれるのですか?でなかったらご自分の口で…」
と言いかけた龍平の言葉を遮って老人が口を挟んだ。
「実は源一郎は、嫁と息子が知らない土地を所有していました。
それを処分して金を購入しておいたのです。」
老人の言葉に龍平は更に驚いた。
「そんな大事な話なら、はやり貴方が直接俊一さんに…」
と龍平が言い掛けるのを老人はまた遮った。
「私は、直ぐに行かなくてはなりません。」
老人は厳しくも悲しげな表情で言った。
「そうなんですか。解りました。」
龍平は老人の気迫に押されてそう言わざるを得なかった。
すると老人は突然とんでもない事を言いだして
龍平を驚かせた。
「谷原源一郎は首に鍵をぶら下げています。
俊一はこの鍵を見れば源一郎が何を言いたいのかを悟る筈です。」
「鍵をぶら下げている?」
龍平は源一郎の棺を指さしながら少し大きな声を出して老人に念を押した。
老人も源一郎の棺を振り返りながら大きく頷いた。
ふと龍平の胸に素朴な疑問が浮かんだ。
何故この老人は源一郎のそんな重大な秘密を知っているのだろうか?
そして何故そんな大事な伝達を彼は見知らぬ自分に託すと言うのだろうか?
龍平は、ふと目の前に座る老人の顔をしげしげとした視線で眺めた。
すると老人はそんな龍平の心を見通した様に言った。
「それは、あなたが正直な方だからですよ。」
龍平が心の中で思った事を直ぐに答えた老人に龍平は仰天した。
そして恐る恐る聞いた。
「もう一度伺いますが、貴方は厳一郎さんと
どんな血縁関係の人なのですか?」
すると老人の顔は見る見る哀し気な表情を作って押し黙った。
その時、龍平の脳裏にとんでもない答えが浮かんだ。
思い浮かんだその答えは龍平の胸を大きな衝撃でもって「ドン!」と付いた。
龍平の動揺した声が思わず唇の隙間から漏れた。
「貴方は!」そう言った後、龍平は
背後に飾られている谷原源一郎の遺影を振り返った。
今、目の前で正座する老人と遺影の中の谷原源一郎が
まるで一卵性の双子の如くそっくりなのである。
龍平が苦くなった唾液を飲み込んだと当時に
背中に嫌な悪寒が走り抜けた。
今度は龍平の方が泣きそうな顔になった。
「あなたは、あなたは…」
と龍平は、わなわなと震える唇を動かそうとしたが途中で言葉を失った。