久々に書きます。
このコロナ禍を経て、情報とのお付き合いの仕方を考えました。
wikipediaでメディアリテラシーと調べると、国際的に有力な定義を総合的に勘案すると、メディア・リテラシーとは、民主主義社会におけるメディアの機能を理解するとともに、あらゆる形態のメディア・メッセージへアクセスし、批判的に分析評価し、創造的に自己表現し、それによって市民社会に参加し、異文化を超えて対話し、行動する能力である。
だそうです。要はメディアが発するある事に対して、疑問を感じながら考えて多面的に見て判断する能力だと、感じます。
知らぬ間に見ているTV等、入り込んでくる情報には制作側の意図があると思えます。
例えば、ある事に関してこういう意図があるんだよ。みんなこういう見方をしようね。っと世間はあたかもそう感じているように人の頭は支配されてしまうと思うんですよね。
そこでメディアとのスタンスに間を一つ置くようにすると自分の中でフィルターができて、ん?いや、これが世の中の常の考えじゃないぞ!っと見えてくると思うんですよね。自分の中に一つフィルターを置くだけで様々な考えが見えてくると思います。
あと、ネットで注意したいのは情報のトピックスです。ニュースサイトのトピックスというのは否が応でも目が行き、それがニュースの中で注目されているのだと引きつけられてしまう部分があると思うのですが、実はもう数時間前の事柄や、それも意図があり、露出されている部分があるのでそこだけに関心を持つのは危険だと感じていました。
ワタシ自身も目が行って、クリックして、そこにあるコメント欄(一般民のコメント)を見て、同じような意見があり、それがあたかも民意であるかのように感じてしまった事がありました。
あそこに書いてあるコメントってほとんどの人が匿名性があるのか、感情論に終始していることがあるんですよね。無論汲み上げる部分はあるにしても、それが全てと思うのはちょっと??となってしまいます。
このコロナであらためて感じるのは、2011年の東日本大震災の経験が活かされてないなーっと感じました。また、当時さほど一般的でなかったSNSが情報の主流となり、不安を煽られた人も多いと思います。特に初期、トイレットペーパーが無くなるという何処から出たのか分からぬ情報で一般民のベクトルは加速してしまい一時的にトイレットペーパーが無くなるという始末になってしまいました。
トイレットペーパーを大量購入していた人がTVメディアの問いに「(トイレットペーパーが無くなるなんて嘘) 『でしょうねぇ~…』」と言いながら黙々と、大量に購入したトイレットペーパーと共に去っていく姿をみました。
ただ、人の気持ち?心理を考えると目の前で無くなっていく物に対して衝動的に買って、買い溜めておきたいという精神が芽生えるのは当たり前の事なのかもしれません。
それも情報の捉え方だと感じます。
もう何十年前でしょうか?世界から石油が無くなるという話を社会の授業で学びました。
今どうでしょうか?人類は普通にクルマにガソリンを入れて冬は灯油ストーブを使えています。その間に偉い人々の英知があって今という現実があるのは分かりますが、無くなるといった情報を発した元種は何処にあったのでしょうか?なんて思ってしまいます。
もしかしたら、それも石油の売り手が高く売ろうとして値上げの情報の元種としてどういうものがいいのだろうか?と練った手段かもしれませんね。
話はちょっと逸れましたが、この世の中のあらゆる情報というものには、どうでもいい事はいいとして自分が生活する上で考えるような事が存在するというのならば、一つの情報や考えだけにとらわれないで!!
まだ終息するのには時間がかかるであろうコロナウイルスの今後を踏まえながら一読下さると幸いです。