入院から一週間。


メンタルはボロボロ。


毎日毎食サカナさかな魚!!

ときどき鶏肉。まれに豚肉(カケラ程度)。


超偏食の私は、どこかに必ず潜む嫌いな食材たちに辟易して、旦那にコッソリ味海苔やフリカケを差し入れてもらい、ごはん80gだけでもかき込む日々。


食事以外で言えば、大学病院だからか新人看護師が多くいて、いまいち連携がとれておらずヤキモキすることがしばしば。


脂肪で血管が見えづらいからか採血失敗があったり、点滴の逆流で差し替えがたびたびあって、何回か刺しなおされ青タンがあちこち…


それなのに10も年下であろう看護師の生意気なタメ口に、だんだんイライラして。


さらに、連携ミスによるものなのになぜ私が責められる?というような出来事があり…


最初のうちは下手に出ていた私の態度は、少しずつ崩壊していき、入院一週間で大爆発。


「いつまで入院なのかの目処も知らされず、今がどんな状態なのかの説明もない!そんななかで実験台みたいな待遇されるのはもういや!!」


↑こんなふうに言った訳ではないが、そんなニュアンスで訴えた。


羊水除去術で指導医の立場だった先生が来てくれて、細かな説明を記した紙を準備してくれて、じっくり話を聞いてくれた。


爆発現場に居合わせた看護師さんも、優しくじっくり話を聞いてくれた。

(年上の人だったので安心できた)



爆発から3日後、2回目の羊水除去術が行われた。


シソンヌのじろうに似てる先生。


とても慎重で、たびたび私の状態を気にかけてくれて、前回ほどの痛みもなく処置してくれた。


また除去するとしたら絶対このシソンヌ先生がいい!と思ったくらい丁寧な先生でした。



それから4日後には、点滴リトドリンが内服リトドリンに切り替わり、頚管長も28mmとなったところで、退院の許可が下りた。



結果、入院からちょうど2週間だった。



人生初の入院生活は、もう二度と経験したくないと思わせるほどストレスたっぷりの日々でした。


でも、大学病院だという安心感は確かにあったし、年下の看護師にはイラッとするときもあったが、先生も看護師さんも優しく丁寧な方が多かったので、そこは本当に感謝しています。